[ STE Relay Column : Narratives 100]
下平 哲大「スタート地点~ワクワクして実験する組織を目指して(STE2020)」

下平 哲大 / 早稲田大学大学院経営管理研究科/ ライオン株式会社 

[プロフィール]千葉県千葉市出身。理学修士(生化学)。大学院終了後にライオン株式会社に入社し、一般用解熱鎮痛薬の研究開発、頭痛、腰痛等の痛みの発生メカニズムの基礎研究に従事。2020年より企業派遣で早稲田大学大学院経営管理研究科(全日制グローバル)に入学。大企業からのイノベーション創出を軸に、日々見慣れない理論群、専門用語と格闘中。牧ゼミ所属M1。

はじめに
 こんにちは。WBS修士課程1年の下平と申します。今回、春クオーターに牧さんの「科学技術とアントレプレナーシップ(STE)」を受講させて頂きました。私は、既存企業からのイノベーション創出を勉強するためにWBSに入学しました。M1でSTEを受講した動機もまさにイノベーションに関する知識を体得したいというものでした。しかし、STEを通して得たのは、知識以上に重要なことでした。それは、「子供の頃に抱いていたような、内から発生する好奇心、楽しみ」、「ラーニングコミュニティ(学び合うことの素晴らしさ)」です。今後の受講生の参考になればと思い、今回このコラムを執筆させて頂きました。

企業研究者のジレンマとWBS進学
 私が勤務する会社は日用品・化学品製造販売が主事業であり、御多分に洩れず、イノベーションや新規事業創造が戦略上の必須ワードとなっています。日用品の中でも、私が担当していた一般用医薬品(いわゆるOTC薬)は、薬機法と製造販売基準という厳格なルールの下、開発範囲が制限されています。従って、一般用医薬品はイノベーションとは親和性が低く、業務は法律への対応等、オペレーションが最優先です。しかし、国内一般用医薬品市場は、少子高齢社会の到来により成熟期に位置しているため、私は、既存の延長線上の開発アプローチで持続的に成長することは難しいと考えていました。
 私は、このような市場環境と組織に危機感を抱き、イノベーションに関連する手法を独学し、新たな開発アプローチに取り組みました。しかし、プロジェクトを進める中で、「プロジェクトの成果は短期では出ず、失敗は評価されない」、「定石が存在せず、不確実性が高い」、「不確実性が高いために、メンバーのモチベーションが維持できない」といったジレンマを経験しました。この経験から、オペレーションに習熟した既存企業がイノベーションを創造し続けていくためには、研究者がボトムアップでアイデアやビジネス案を出していくという単純な方法では不十分で、失敗(仮説検証による仮説の棄却)をいかにマネジメントしていくか、インセンティブをどのように設計するか、どうしたら内発的に動機づけられるのか、といった側面からアプローチする必須であると思うに至りました。さらに、これらを実行するためには、イノベーションに関連するエビデンス、経営学の知識が必要であり、この部分が決定的に自分に足りないと感じていました。“大企業からのイノベーション~ワクワクしながら実験する組織への変革”、私は、この目標に向けて、イノベーションの手法と理論を一から体系的に学ぶためにWBSへの進学を決意しました。

牧さん、STEとの出会い
 牧さんとの出会いのきっかけは、WBS卒業生でSTE Relay Column 011を執筆している田巻常治君でした。田巻君とは、現会社の同期入社で、焼肉屋巡りをしたりサマソニに行ったりと、プライベートでも色々お世話になっている仲です。
 WBS入学後、履修計画に向けて膨大な授業候補と格闘する中、田巻君に私の問題意識を相談したところ、牧さんとSTEについて教えてくれて、すぐにFacebookで牧さんと繋いでくれました。早速メッセンジャーでやり取りをさせて頂いたのですが、経営理論の“け”の字も知らない私の問題意識や意見を真剣に聞いて下さり、参考文献や情報を瞬時に提供して下さる対応に感銘を受けたことを覚えています。会社でこのような問題意識を話しても、「確かにそうだけど、難しいよね」と言われることが多かったので、初めて真剣に話を聞いてくれる人に出会ったと感じました。さらに、STEのシラバスを見る限り、まさに私が勉強したい内容であり、特にトピック8の「インセンティブは発明とビジネス化にどの程度重要なのか」はドンピシャのテーマで、「この授業を履修せずに何を勉強しに来たのか?」という気持ちで意気込みました。しかし、授業内容の最後の一文に「WBSにおいて、最も負荷の高い授業」の一言が…。自分がWBSに入学した目的を今一度思い出し、チャレンジ精神で受講を決意しました。

STEへの挑戦
 STEは、当初目標としていた、イノベーションやアントレプレヌールシップの理論や手法を学ぶということ以上の経験となりました。その理由は、非常にクオリティが高い「ミステリー映画のような作り込まれたコンテンツ」に加え、「昨日できなかったことが今日はできるようになることの喜び」を思い出したこと、「ラーニングコミュニティは創りあげるもの」ということに気が付いたためです。

「ミステリー映画のような作り込まれたコンテンツ」
 STEでは、イノベーションやアントレプレナーに関する知識のみならず、社会科学の論文・研究を、自分の力で批判的かつ実務への応用を想定して理解する力を付けることができます。課題論文は相互に関連しており、授業回が進むごとに、論文間での結果・主張の矛盾や、抽象度を上げた場合の共通性が浮かび上がり、自然と「もっと知りたい、議論してみたい!」という知的好奇心が掻き立てられ、自ら学習する意欲が湧く内容になっています。授業を受けながら、まるでミステリー映画のような構成だと感じました。「どの論文とどの論文が繋がっている?」、「この理論とあの理論は違うように見えて、同じ現象を違う側面から見ているのでは?」といった具合です。
また、メイントピックに加え、世間の動向と連動した研究トピックの輪読や、最先端の現場でエビデンスに基づいた意思決定をしている方をゲストスピーカーとして迎える等、理論の深化と実務への昇華が、タイミング良く往来するように設計されていました。ここでは多くは語りませんが、今回のゲストスピーカーのお話は、不確実性の中で意思決定することの意味、エビデンスの位置づけ、そしてその難しさを、受講生に強烈に印象付けたことはほとんどの受講生が同意するところだと思います。私自身、エビデンスベースドのマネジメントアプローチを学ぶためにWBSに進学しましたが、実務におけるエビデンスの意味を改めて考えるターニングポイントとなりました。

「昨日できなかったことが今日はできるようになることの喜び」
 30歳代になり、この感覚を持つ機会が減ってきてはいないでしょうか。また、何かをできるようになることへのワクワク感は減ってきていないでしょうか。
 私は幼少期から変なモノや人と違うモノを作って他人や両親を驚かせる、喜ばせるのが好きでした。いつも何か新しいもの、人と違うものを創ろうと試行錯誤していたのを思い出します。この原体験があってか、現在は企業研究者という職業に着いています。私の仕事は、日用品を開発することですが、常に心からワクワクして仕事をしていたかというと、最近は疑問符が多い気がします。それは、できることに満足して、新しいことに挑戦しなくなっていたからかもしれません。STEは、非常の負荷の高い授業でしたが、同時に子供の頃に感じた、内から自然と湧き出てくる好奇心や、楽しさ、夢中になる感覚を思い出させてくれました。
 正直に言うと、受講前はSTEの授業は負荷が高いといっても、十分乗り切れるだろうと考えていました。生化学の研究をずっとやってきて、自然科学の論文を山ほど読んできましたし、論文も執筆してきたので、社会科学の論文も読むのは余裕だろうと考えていたのです。しかし、私の甘い考えは、初回の担当論文で打ち砕かれました。研究者のキャリアインプリンティングのメカニズムであるPartially deliberate matchingを研究した論文を理解するのに数日間が必要でした。さらに、他の受講生が、自分が苦戦して解読した論文を非常にわかりやすく整理してプレゼンしており、初回の授業で自分の実力をまざまざと痛感させられたのです。「この授業の学び=今まで学んできたことの総量×今どれだけ時間を割いて学ぶか」、牧さんからの手紙の一文がすぐに頭に浮かび、やっと本当の意味を理解したのです。
 しかし、不思議と焦りよりも、新たな成長の機会というワクワク感の方が大きかったのです。なぜなら、すでにキャリアインプリンティングの論文を読み終え、社会科学研究の面白さと自分の知識の無さを自覚でき、成長の伸び代を明確に感じることができていたからです。
 STEは、自分の現在地点と伸び代の自覚、そして目的地への示唆が得られる絶好の機会です。この意味で、個人的にはMBAのM1で受講するのが良いと感じています。

「ラーニングコミュニティは創りあげるもの:学び合うことの素晴らしさ」
 私が所属する部署では自主的な勉強会が定期的に企画されてきましたが、長続きしたことがなかったため、STEを受講するまで、ラーニングコミュニティの意味や有効性を本当の意味では理解できていませんでした。この背景もあり、今回のSTEからは、ショックとも言うべき強烈な印象を受けました。「学ぶ」のではなく「お互いのために学ぶ」ことが可能であり、そしてそれは素晴らしいことを体感したのです。
 今回、COVID-19の影響により、春セメスターのすべての授業がZOOMでのオンラインとなり、講師、TA、受講生のすべてにとって、非常にチャレンジングな機会になりました。牧さんは、「対面授業を超えるオンライン授業を目指して」という目標を掲げ、SlackやMiroなどのITツールの駆使、オンラインオフィスアワーの設定、Takeawayや評価の民主化など、受講生の学びを最大化できるような様々な取り組みをして下さいました。率先して実験をして、仮説検証するという、アントレプレヌールシップに触れ、受講生は大きな影響を受けました。
 受講生側は、自らSlack上で質問チャネルを立ち上げたり、質問や意見、関連情報を投稿したり、「他者の学びに自分がどう貢献できるか?」ということを自ら考えて行動する、学び合いの形ができていきました。当然、発言点などのインセンティブは設計されており、授業の前半はこうしたインセンティブの効果があったと思いますが、途中からは明らかに「お互いに学び合うこと」の価値が重視される雰囲気が授業に充満していました。貢献した人を賞賛したり、プレゼンの後に良い点をフィードバックし合ったり、Slackで「いいね」レスポンスしたりといった行動は、設計されたものではなく、自然と生まれていったと感じています。「ラーニングコミュニティを創る」、そんな雰囲気が授業全体に漂っており、授業の内容よりも、ラーニングコミュニティとしての質を上げることに重点が置かれていたとも言えるかもしれません(STEの授業内容自体のクオリティが非常に高いことは前述した通りです)。一見、これは逆のように感じますが、ラーニングコミュニティが高次元で機能すれば、自然と知識や学びの質も上がると感じました。すなわち、学びの質を高めるためには、「自分で学ぶ、自分のために学ぶ」といった姿勢から、「他者の学びに自分がどう貢献できるか?」という姿勢に変える必要があると気が付いたのです。
 「学び方を変える」、この言葉はまさに牧さんが授業の冒頭で仰っていた言葉でした。

牧ゼミでのこれから
 今回STEを受講するとともに、幸いにもWBSの二年間は牧ゼミでお世話になることになりました
これからのゼミでの二年間は、牧さんのわかりやすい魚釣りのメタファーを借用させて頂くと、「魚の釣り方(知識の学び方)」を徹底的に習得するとともに、釣り方を「教える・広める」という部分にフォーカスして取り組んでいきたいと考えています。
 私が勤める会社は、医薬品を取り扱うため技術と製品品質を重視しており、多くのエビデンスに基づき製品開発を行います。このように研究・製品開発段階ではエビデンスに厳格な一方、研究開発以外の組織戦略やイノベーションといった部分ではまだまだ経験や直観に基づき判断していることが多いと考えています。イノベーションを目指す一方、これまで同僚と組織やイノベーションの諸理論・エビデンスについて議論したことはありませんでした。フレームワークやデザイン思考等の「知識」を得ることに終始していたのです。
 今回STEを受講し、イノベーションに関する質の高いエビデンスが山ほどあるのに、会社では全く活用できていないと強く感じました。この原因としては、「知識の学び方」が大学・大学院やこれまでの仕事でやってきた方法に固定されてしまい、①経営学やイノベーションのエビデンスへのアクセス方法をそもそも知らない、②知識をアップデートする方法を知らない、という二つの問題が挙げられると思います。今こそ会社、仲間そして自分の「学び方」自体を見直し、常にプロトタイピングをしていくことで、変化の激しいイノベーションの世界においても、常によりよい意思決定を実現する基盤を創っていくことができると考えています。
 お互いに学び合う文化がない組織には、失敗を正当に評価したり、心からチャレンジを賞賛したりすることはできないと考えています。失敗から学習することはイノベーションの基本です。この意味でも、知識から「知識の学び方」に視点を移すことは重要であり、“ワクワクしながら実験する組織”に必須の要件であると確信しています。ゼミでの二年間は、「魚の釣り方」を他人に教える、組織に広めるという点で自分を高めていきたいと思います。

スタート地点を目指して
 STEは、自分にとってまさにターニングポイントとなり、とても刺激的な経験でした。自分の現在地点を把握し、目指すべき目標について多くの示唆を与えてくれました。一方で、STEを受講して大きな不安も抱くようになりました。それは、自社でもSTEのようなラーニングコミュニティを創れるのか?ということです。STEは、目標が高くかつ明確で、多様な専門性と豊富な経験の方々が集まっている一種の特殊環境です。そして、今回得た学びと気づきは、まぎれもなくメンバー全員のおかげであり、一人では到底到達できませんでした。
 しかし、今一度授業前に牧さんから頂いた手紙を読み返し、その不安は期待へと変わっていきました。青臭いかもしれませんが、「人とは違うことをリスペクトして学び合う」ラーニングコミュニティを自社で築けたら、皆どれだけ仕事が楽しくなるだろうか…。STEの様に、皆で「学び方を変える」ことができたらどんな面白いイノベーションに繋がるのか…。困難なことですが、期待が大いに膨らみました。
 STEで学んだのは、知識以上に、「新しいことができるようになる喜び」と「知識の学び方」です。STEで得たこの火種を絶やさぬように残りの2年間を駆け抜けて、私の目標である“ワクワクしながら実験する組織への変革”のスタート地点を目指していこうと思います。

最後に
 牧先生はじめ、授業を運営して頂いたTAの森田さん、徳橋さんに心より感謝致します。受講生の皆さまの発言内容、プレゼンそして温かい雰囲気、どれをとっても学ぶことばかりで、WBSの一年目にこの刺激的な授業を受講できたことを大変うれしく思います。改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


次回の更新は7月17日(金)に行います。