[ STE Relay Column : Narratives 097]
藤尾 夏樹 「EBM(Evidence based Management)の手応え~まるで知の水平線にきらめくGreen Flashのような~」

藤尾 夏樹 / 早稲田大学ビジネススクール夜間主総合コース修了

[プロフィール]医師、医学博士、経営管理学修士。日本内科学会認定内科医・総合内科専門医・指導医、日本リウマチ学会専門医・指導医、日本アレルギー学会専門医、日本医師会認定産業医。
高度急性期ならびに膠原病専門医療がキャリア軸でありながら、全身臓器を対象とする専門特性、ならびに大学病院含む高度急性期病院2院のキャリアを軸に20診療科以上、20医療機関以上での幅広い診療経験。医療圏としても都心、郊外に加え超高齢過疎地域での長期間の診療経験。大学にて研究も行い博士号も取得している。今春早稲田大学ビジネススクール夜間主総合コース修了。科学技術とアントレプレナーシップの牧ゼミ二期(夜間主)。Life Project理事。

~はじめに~

「サンディエゴの水平線のかなたに太陽が沈んでいく瞬間の緑色の光のちらつきをグリーンフラッシュと呼ぶ」。

早稲田大学ビジネススクール(WBS)牧ゼミの米国サンディエゴでのスタディーツアーの初日に牧さんが我々ゼミ生をサンディエゴの浜辺で夕日を見ながら教えてくれた。ゼミスタディーツアーで牧さんがみんなに見せたいと連れていってくれたこの景色が、今EBM(Evidence based Management)の世界観と重なり映る感覚を私は持つ。残念ながらこの時グリーンフラッシュを写真に収めることが出来なかったため読者の皆様に画像をお見せすることはできないが、しかし2年間のWBS生活が終わりMBAホルダーとなった今、この時見た果てしない太平洋の水平線に沈むサンディエゴの夕日と牧ゼミでの学びを終えた「知の光景」が重なって見えるのである。
本コラムでは経営を含む広い分野において、実務上の意思決定でのEBMの有用性について私が感じていることを述べる。EBMについて述べる上で私には二つの文脈がある。一つがEvidence based Medicine(Managementでなく)を実践してきた、具体的には難病も含む膠原病を診療してきた内科系専門医としての実務経験、もう一つがWBS牧ゼミで経営学の論文を(おなか一杯)読み、修士論文を執筆した経験により得られた知見である。この二つの経験が、「社会(経営)」と「自然(人体)」という不確実で多因子を共通項とする世界の普遍性のようなものを掴めたという、どこか確信のような実感がある。
図らずも昨今の新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、科学に基づいた情報の理解とそれに基づく日々の意思決定の重要性を、多くの人が身近に感じられているのではないかと思う。私は臨床及び医学研究のバックグランドがあり、科学的根拠に基づいた情報の取得と意思決定を実務にて行ってきた。しかし、WBSと所属した牧ゼミを終えて、EBMは経営学やそれ以外の分野に広がるものであることを知った。同時に、実務において意思決定をする者にとっての基礎的スキルとなり得るのではと、時代的展望を感じている。

~EBM(Evidence based Management)の世界観~
我々人間が意思決定を下す際には情報に基づいた思考過程がある。しかし判断根拠となる情報を経験や伝聞に依存するには限界がある。伝統、直観、経験からしっかりとした根拠のある情報源にシフトすることにより、より効果的な実践へとするのがEBMの目指すところである。
医師である私にとってのEBMとは、元々は “Evidence based Medicine”である。つまり「医療研究で得られた証拠を採用することにより、意思決定に最大限活用する医療行為の1つ(Wikipediaより)」であり、患者の問題を解決するためにエビデンス(=科学的根拠)を目前の患者にどのように適用するかの手法である。1992年に初めて提唱された高々30年にも及ばない実践理論である(Evidence-Based Medicine Working Group, 1992)。
ここで少しだけエビデンスレベルの概念をお伝えさせてほしい。エビデンスはレベルが示されることがあり、例えば日本の各診療ガイドライン作成の際に使われていた目安に以下のようなものがある。
エビデンスのレベル分類(質の高いもの順)
Ⅰ システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス
Ⅱ 1つ以上のランダム化比較試験による
Ⅲ 非ランダム化比較試験による
Ⅳa 分析疫学的研究(コホート研究)
Ⅳb 分析疫学的研究(症例対照研究,横断研究)
Ⅴ 記述研究(症例報告やケース・シリーズ)
Ⅵ 患者データに基づかない,専門委員会や専門家個人の意見
(Minds 診療ガイドライン作成の手引き2007より一部抜粋)

さて、ここで言及したいことは、研究手法について述べたいのではない。経営などの実務やその他の人生の意思決定において、我々は情報の質の評価をどの程度行えているだろうか。レベルⅥの専門家の意見や、高名な成功者の意見を有難がっていないだろうか。実は先に示した手引きは2014年に改定されていて、その際はⅥの専門家の意見をそもそもエビデンスとして見なさないとして削除されている。WBSに来て、牧ゼミにきて、経営学にも優れたエビデンスがゴロゴロ存在することを私は知った。例えばハーバードビジネスレビューの入山先生や牧さんなどの記事を読んで、ためになるとの実感を持つ人であれば、目前の課題に対する科学的検証を経た人類の英知がgoogle scholarで今すぐ手に入る形で存在している。おそらく、活用法さえ知っていれば質の高い意思決定にとても有効になると思われる。
EBM含め全てのものには有用性と限界がある。実感としてEBMの具体的な効能は「誰でも知りさえすれば避けられる(価値の低い)失敗確率の低下」に寄与するものである。しかしこれすらできていない現実世界マネジメントは経営に限らずきっと多い。少なくても医療においてはこのレベルは早々にクリアしなければならないと医療提供者側は努力しているし、それは医療を受ける側の気持ちに立てば当然の欲求ではないだろうか。経営学にも英知の集積が既に十分存在している。経営においてもEBMを自分の資源として使いこなせることは、自身の学びや経験のみで戦った場合とで、各段の差が生じるだろうと想定されるわけである。

~EBMの実践とは「実務から人類の英知に都度アクセス」することである~
EBMを実践していくというのは、座学などで「お勉強」を日々するのとは違う。私の感覚では、意思決定の必要性に迫られた際、都度それに必要な情報を見渡す、地図を確認する作業に例えられると考える。そして、その作業により得られるメリットとして、私は3つ挙げられると考える。
①知の水平線(人類の英知の集積の今時点での限界点)が見えて、逆算的思考ができる。
②不慣れな土地(領域)でも地図を頭に描ける。判断の質のボトムアップや大雑把な方向付け、現状のオリエンテーションに役立つ。
③世界共通言語として、他のステークホルダーと目線合わせができる。
EBMの実践を目指し自身の抱えるテーマに沿って複数論文をレビューし始めると、より的を絞った深堀の知とその限界が一気に見渡せる。水平線に例える知の限界を知ることで、不確実の中での進む方角を定め、より良い結果となる確率を高めることはできる。
またEBMは最上のマネジメントを生み出す、というより、むしろ誰にでもある取りこぼしを減らしてくれる効用が大きいと考える。目から鱗の強烈な知との出会いを期待してEBMをするのではない。EBM後に自分の把握した結論はそれだけ聞けばごく当たり前のものが多いように思う。しかし、そのごく当たり前のことを、都度出くわす課題や疑問に対して、毎回把握しきれているかというと、恐らくできてはいない。スポーツにおいても芸術においても、もちろん医学においても、一流の人は当たり前のレベルのことを抑えた上でその上のパフォーマンスで勝負していると思う。きっと経営者、管理職においてもそうだと思うし、そしてきっとハードルは高いことでもない。私が後期研修医時代に研修した科は、「Beyond EBM」を研修の到達目標に掲げていた。「EBMを実践できなければプロじゃないが、EBMを実践できるだけでは普通のプロフェッショナルである。個別の状況やEBMの限界まで見渡したうえで最適と考えられる意思決定ができて一人前。」という意味である。これまでプロとしてハラワタをえぐられるようなギリギリの判断をせざるを得なかった時を振り返ると、強く同意する考え方である。きっと経営学や他の実務でも同じ世界観はあると思う。

~EBMの実践~
では具体的にEBMの実践はどのようにやっていくのだろうか。私が考える現実的なEBMの実務への取り入れは、意思決定の際のプロセスやタイムマネジメントポートフォリオにEBMを少し混ぜておく、ということである。恐らく意思決定する全ての人のポートフォリオに例えば5%程度混ぜておくのも悪くないと思っている。実際に出くわした意思決定をしたい事象への解を、これまでの経験値で網羅することなど事実上ありえない。その際、経験や直感に基づいてやってみる、の前に一度『EBMしてみる』のである。3分なら3分なりに、1時間なら1時間なりに、3日なら3日なりのEBMを、取れる時間や緊急性に応じてやればいい。
少しだけ私の具体的事例を紹介させていただく。2020年3月15日にWBS同期と共同創設運営する「Life Project」でオンラインイベントを開催した。それに先立つ2月中旬にイベントを開催するかの意思決定があった。本コラム執筆時(5月)でこそオンラインのイベントは数多く開催されるようになったが、思い出して頂きたいのはまだSARS-CoV-2の世界的感染流行状況も読めなかった2月中旬においては、例えばWHOも「イベント主催者に対して縮小や延期、中止の判断基準を事前に話し合っておくことの推奨する」程度で明確な指針が世の中にない段階であった。ましてやビジネス関連の100人規模の相互参加型オンラインイベントは、少なくても当時の私には聞いたことはない状態であった。この誰も経験したことのない状況かつ不確実な未来(一か月後の開催予定日の社会状況)を踏まえ、開催するかどうかの意思決定に必要な判断材料はなんであろうか。代表の大角からオンラインに切り替えて「開催」したいとの相談を受けた後、私は少し「EBMしてみる」ことにした。このケースの場合、意思決定に必要なものを因数分解して、私は組織のリスクマネジメントに関して論文を検索した。私は組織のリスクマネジメントなどには何の造詣もない。しかし、論文たちを検索しざっと見渡していくとリスクマネジメントの思考や分析、実行のフレームや根拠が沢山出てくる一方、私の知らない特別な万能薬のような確立手法をおよそ人類は持ってないこともわかる(知の水平線)。結果的には個別の組織の目的を再定義し、その上で個別のリスク(今回はCOVID-19の流行の兆しとイベント開催)を捉え直し、リスクの洗い出しと特定、リスク分析、評価、対応、モニタリングといった枠組みで検討した(地図を広げ現状のオリエンテーションをつける)。Life Projectと今回のリスクの場合Reputation Risk Managementが重要と分析でき、その対応(ステークホルダーたちとのコミュニケーション)をしながらのオンラインでの開催を決定することにした。この思考過程に要した時間は一時間程度であっただろうか。、費やす時間の上限を決めて行ったためやや粗めの考察とはなるものの、少なくても組織のリスクマネジメントなどをしたことない私が判断根拠を持ち、自分なりの考えと次にしていくべきことが見えた。感染の流行が拡大し自粛ムードが広がる中で真っ先に開催することにどういう反応をされるのかという不安はあったが、イベントはお陰様で多くの方のご参加と好評を戴くことが出来た。
個人的見解では、医療においてもEBMの実践の普及には提唱から10年以上かかったように思うが、広がりだしたらあっという間であった。おそらく経営におけるEBMも同様な展開がこれからみられるのではないだろうか。我々の生きる世界に必勝法など存在しない。絶対解もない。我々がこれから歩む未来は、誰一人の経験もない、未知の世界である。実務においての疑問、目の前の事象への課題解決を志した時、例えばビジネススクールでの授業を受けていた時より、課題の「解像度」が高くくっきりとしているのがリアルだと思う。そういう自分事の「個別性があり解像度の高いリアル」への対応に、人類全体の精製された英知を投影できるのが、EBMの作業である。論文には執筆時点でのその分野を考察した知の限界と考察がなされている。自分事の課題の知の水平線まで一気に見渡してみる作業がEBMなのだと思う。私自身まだまだ未熟だが、どんな人もその人なりにEBMの実践を目指す作業を繰り返していくと、たまにグリーンフラッシュにお目にかかることもできるのではないかと考えている。

~おわりに~
WBSでの情報シャワーの量は相当なものであった。しかし、情報はすぐに古くなる。例えどんな優れた学びのメッカに身を置いたとしても、そのコンテンツに収まっていたら得られる情報価値はすぐに劣化してしまう。私はWBS修了後も継続して効率よく学びを継続できている実感がある。学びには本、教科書、論文だけでなく、人との会話やネット上の情報ももちろん含まれ、欲しい情報により最適なチャネルは異なる。しかし、科学・学術的な情報の解釈能力は全ての情報の解釈能力のバックボーンになり、情報の理解の質に貢献してくれる。
そして何より、真の学びとは具体(実務)⇄抽象(理論)の総量であると私は考える。つまり、実務上で発生した具体的に対応に迫られた事柄に対して、都度必要な情報・理論を集め咀嚼し、それを実務に還元し得られた結果を解釈する。この一連の手法が、最も重要な身に着けるべき学びの能力だと考える。
WBSおよび牧ゼミにて、修了後も質の高い学びを続ける力を授けてもらったことこそ私にとってのかけがえのない財産である。これからは実務においてこの授けてもらった力を存分に社会に還元していきたいと考えている。
最後に本コラムを最後まで読んでくださった皆様へ感謝の意を表明するとともに、同時代を生きる者として、共によりよい未来を築いていきたい。


次回の更新は6月26日(金)に行います。