[ STE Relay Column 016]
林田 丞児「研究者のためのMBA -有機化学者がサイエンスビジネスのプロを目指す-」

林田 丞児 / アステラス製薬株式会社

[プロフィール]1979年生まれ、大分県出身。筑波大学卒業後、渡米。2009年シカゴ大学大学院にてPh.D.を取得。専門は有機合成化学。2009年からスローンケタリング記念がんセンターにて糖鎖を利用したがんワクチン研究開発に博士研究員として携わる。2011年よりアステラス製薬株式会社に在籍し、同社合成技術研究所にて急性骨髄性白血病薬ギルテリチニブなどの工業化プロセス開発を担当。2016年に経営推進部に異動し、年度計画、予算管理、投資評価などの業務に携わる。2017年から早稲田ビジネススクール夜間主総合プログラムに所属し、同校にて牧准教授の指導を受けながら、研究者と経営者の橋渡し役として日本社会のイノベーション創出への貢献を目指している。基礎科学技術のビジネス化、イノベーション・システムの構築、イノベーション・ファイナンスなどに関心がある。

“研究者を研究する”そんな研究分野がある。何か物事や事象を研究する人その人々が研究対象とされるとは、面白い!これが私とスターサイエンティスト研究と牧先生の出会いであった。

 早稲田ビジネススクール(以下、WBS)の夜間主総合プログラムでは約半年間かけて教員が自らの研究領域のエッセンスを学生に伝えるプレゼミという授業が開講されている。私がスターサイエンティスト研究をはじめサイエンスビジネスという学術分野を知ったのは2017年07月07日、牧先生の講義であった。サイエンスを経営学的観点から学ぶ学問。私にとって今後学ぶべきはこの学術分野だと直感的に思った。牧ゼミでは研究者や技術者が持つ暗黙知を統計手法により定量的に捉え、そのリサーチクエスチョンへの一つ示唆を与える方法を学ぶことができる。たとえば、次のような疑問がこの分野では研究されている。

1. 一部の教授は非常に多くのイノベーティブな論文を執筆する。それはその先生の研究能力が著しく高いことに起因するためだろうか?それとも一定レベルその学問界隈で有名になると優秀な学生やポスドクが集まりやすくなるため、その先生を取り巻く環境変化に起因してするのだろうか?さて、どちらが本当の真の説明因子か?
2. 多くの研究者はお金などの心配をせずに自由に研究させてくれた方がよりイノベーティブな研究ができると主張する。一方で資金提供する者は、研究の詳細を確認し、それをいつまでに行う予定なのかなどマイルストーンをきっちり設定した目標および業績管理を行いたいと考える。さて、本当に自由な研究をさせたら、イノベーティブな研究が生まれやすいのだろうか?
3. 研究には自身がすでに持つ既存の専門研究領域をより深く突き詰める研究と新たな研究領域に拡げていく研究がある。さて、どちらがよりイノベーティブ的な研究成果を上げられるのだろうか?

 このような研究現場を取り巻く疑問を学術的に確立した手法で解明していくことは知的好奇心を満たしてくれるだけでなく、ビジネスにおいて重要な示唆を与えてくれる。その一例として、私が日々直面している予算管理の実務の中での潜在的な活用方法について紹介する。
 イノベーションの創出において、資金や予算調達などおカネはとても重要な要素である。資金や予算というとその獲得部分が注目されるが、実は運用方法の設計もイノべーティブな研究成果を生み出すため重要であることがわかっている。「Incentives and creativity: evidence from the academic life sciences.」というAzoulay等の論文ではアメリカ国立衛生研究所型のPJベース案件評価に中間審査など細かく限定した研究投資の管理方法とハワード・ヒューズ医学財団型の研究者への投資で中間評価のない研究投資の管理方法を比較し、その方法の違いによる研究パフォーマンスの違いを検証している。その結果、この論文では前者の方法では、短期的思考を誘起してしまうためか研究の自由度が制約され、その成果が小粒なものになってしまうことが示唆されている。私はこの結果はとても興味深いと思った。なぜならば、私の現在所属する予算管理部門での研究開発費管理はアメリカ国立衛生研究所型に近い方法を取っているからだ。毎年、予算策定時になるとその経費使用目的や妥当性などを精査する。さらに予算付与した後は期初予算前提、期中実績、年度末見込みをアップデートしながらモニタリングし、常に予実差異分析を行っている。結構な工数をかけて実施するこの業務が実は研究者の挑戦意欲を低下させ、結果的に研究課題周辺に存在しているイノベーションの種に目が向かないように仕向けているかもしれない。なんと皮肉なことだろう。このことを回避する一つの方法はハワード・ヒューズ医学財団型のように研究者自身に中長期的な投資をし、研究者初期の探索的な研究が許容された予算環境を整備することなのかもしれない。少なくともこの論文からわかることは研究開発部門で同額の予算を確保しても、バックオフィス部門の運用・管理方法一つでそこから得られる研究成果の質が変わってくるということだ。つまり、このようなサイエンスビジネスの学術知識はイノベーションの創出が企業の競争優位性の源泉となっている現在、管理会計やファイナンス知識を主体とした管理部門スタッフである私にとっても、とても大事な学びを与えてくれる学問であるということだ。

 私がWBSに入学したきっかけは予算管理や年度計画策定を行う経営推進部へ異動を突然通達されたことである。大学、大学院、ポスドク、研究所とそれまで15年間近く化学者として過ごした私にとって、それは大きなキャリアチェンジとなった。全く専門性の異なる部門に移って気付いたことは次の3点である。1つ目は私個人の課題として、経験と知識が業務周辺に偏重しており、会計やファイナンスなどを含めた包括的な経営知識が不足していた点だ。お恥ずかしいであるが、トップマネジメントが出席する会議に同席できる機会に恵まれるようになったにも関わらず、私は彼らのコメントやアドバイスの意図や背景を当初は全く理解できなかった。2つ目は研究開発部門がトップマネジメントとうまくコミュニケーションがとれていないことだ。プロジェクト・投資起案書が専門用語で溢れかえっているのはその一例だ。非専門家であるトップマネジメントが読み手であること踏まえ、経営判断を行う上ために何を伝え、何を判断をしてほしいかを明確にした起案書は少ない。3つ目はトップマネジメントの研究現場についての理解は思っていた以上に乏しいということだ。2つ目の裏返しであるが、特定部門の現場実務を経験したことがあるトップマネジメントは少ない。会社全体を俯瞰的に見ているため、詳細理解が乏しくなることは仕方ないことではあるが、各部が扱う専門性をどこまで事前理解しておくべきかは報告を受ける側の課題でもある。以上のように、経営学知識不足を補完すること、そして専門性を追求した者であるからこそ理解している研究現場とトップマネジメント間のミスコミュニケーションを解消できる人材へポジジョンチェンジすることを目指し、私はビジネススクールへの入学を決意した。

 1973年にノーベル物理学賞を受賞された江崎玲於奈先生は若手研究者に「いつも歩く道を離れ、未踏の森に飛び込み、新しいものを探れ」と言葉を残している。現在は管理部門に所属している私は研究者を取り巻く環境を整備し、改善することで間接的な形でイノベーション創出に貢献することを目指している。WBS一年目の必修・選択必須科目の履修を通じて、経営学の基礎的な知識基盤は獲得できた。二年目となった今はゼミにてサイエンスビジネスの専門性を深める時期である。専門論文の輪読、ケーススタディー、日本のイノベーション創出のキーマンによる講義、サンディエゴへのスタディーなどを通じて、次のキャリア目標に私は着実に進めている。サイエンスのプロからサイエンスビジネスのプロへ、早稲田大学ビジネススクールの牧ゼミはそんなキャリアを目指す人が日本で最も有意義な学びが得られる場所であると私は信じている。

 


次回の更新は11月9日(金)に行います。慶應義塾湘南藤沢高等部の花田 璃久さんの「リスクを取らないことがリスクになる~高校生の僕が牧さんの授業から学んだこと」です。