[ STE Relay Column 006 ]
「研究開発政策のあり方を「科学」する」

黒河 昭雄 / 国立研究開発法人 科学技術振興機構社会技術研究開発センター アソシエイトフェロー、東京大学公共政策大学院/政策ビジョン研究センター 客員研究員

[プロフィール]1985年生、山口県出身。東京大学公共政策大学院修了。東京大学政策ビジョン研究センター、明治大学国際総合研究所等にて医療政策、医療イノベーション政策の研究に従事したのち、2016年8月から現職。現在は、JST RISTEXにて科学技術イノベーション政策に関する公募型研究開発のファンディングプログラムを担当。「政策のための科学」の観点から、研究と政策現場をつなぐための取り組みを進める。

0. イントロダクション
 科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)で「科学技術イノベーション政策のための科学 研究開発プログラム」を担当しております黒河と申します。
 このたび、STE Relay Columnの第6回目として、私に出番が回ってきたのは、私がJSTのスタッフとして牧先生のプロジェクトに対してファンディングを行っている立場にあることから、お声かけいただいたものと思います。ですから、本来であればJSTの立場からプロジェクトに期待していることをここで述べさせていただくのが筋であろうかと思いますが、他の先生方のコラムを拝読した限り、皆様思い思いに語られておりましたので、それに倣う、というのが私の流儀でございます。

1. 黒船襲来
 前に倣えということで、まず研究代表者である牧先生との関係性から少しだけお話しておきたいと思います。牧先生との出会いはと申しますと、実はJSTのプログラムでプロジェクトを採択するはるか以前に遡ることになります。前職の東京大学で関わっていた大学院博士課程教育リーディングプログラム「社会構想マネジメントを先導するグローバルリーダー養成プログラム(GSDM)」の一環として、米国の東海岸と西海岸におけるイノベーションのあり方やそのエコシステムについて学ぶスタディ・ツアーのようなものを企画したことがありました。その際に、西海岸における主要な訪問先であったUC San Diego(UCSD)でのスタディ・ツアーをアレンジしてくださったのが、当時Rady School of ManagementのPh.D Candidateとして在籍されていた牧先生でした。当時も今も浅学にあることに変わりはないのですが、そんな私でも「牧兼充」というお名前は何度も眼にしたことがあり、既に音に聞こえた存在であったことはいうまでもありません。実際にお会いしてみた印象はといえば、日本の博士課程の学生とは似ても似つかず、むしろ得も言われぬ貫禄とともに「自分に動かせぬものはない」といわんばかりの自信と気力に満ちあふれており、留学経験のない私はさながら「黒船」を目撃した江戸時代の人々ばりの衝撃を受けたことを覚えています。
 その後、運良く東大とUCSDとの連携を強化する取り組みに対して学内的なサポートが得られたこともあり、公共政策大学院(GraSPP)とUCSDのSchool of Global Policy and Strategy (GPS、旧IR/PS)との連携強化を中心としながら、学内の他の研究科はもちろん、牧先生の指導教員であったVish Krishnan教授をはじめとしてUCSDの各Schoolを巻き込む形であれやこれやと様々な取り組みを進めることになりました。そのうちに、日本橋におけるライフサイエンス振興といった異なる文脈が合流することになりますが、そうした日本とサンディエゴとのコラボレーションを深める取り組みにおいて、いつもカウンターパートにいてくださったのが牧先生だったという訳です。
 奇しくも黒船をカウンターパートに迎えることになった私にとって、これほど頼もしいことはありませんでした。海の向こう側から聞こえてくる「イノベーション」や「エコシステム」といった耳触りの良い魔法の言葉の数々は、まるで蒸気機関やエレキテルといったハイカラな洋物のように思われ、その魅力にすぐに取り憑かれてしまうことになりました。こうして、政治学や行政学、公共政策といった比較的ドメドメの世界で育った私も自らの開国を余儀なくされることになったのです。

2. セカンド・チャンス
 このようにお話をすると、ファンディング・エージェンシーの立場にあることを利用して、旧知の間柄にあった牧先生を「依怙贔屓」してお金をつけたのではないか、RISTEXはspoils systemを是としているのか、などとあらぬ誤解を生みそうなので、念のためきちんと断わっておきたいと思います。
 大まじめに申し開きをしておけば、虎ノ門と違って、(少なくとも私の知る限り)市ヶ谷の組織は断じてそのような場所ではありません(そう信じています)。私自身は、確かに牧先生が採択されたプログラムの担当フェローではあるものの、公募プログラムにおける提案課題の評価に関する一切の手続きに対して何らの権限をも持ち合わせていません。公募への関与のあり方といえば、プログラム総括やアドバイザーが提案課題に対して行う評価や採択に向けた事務的な手続きと彼らが検討を行ううえでの議論の補助を行う立場にあるに過ぎません。私自身の役割は、どちらかといえばプロジェクトが採択された後のほうが中心的な仕事であり、プロジェクトがうまく滑走路を走っていけるように伴走したり、あるいは直面する課題に対して一緒に頭を悩ませ、解決策を探ることをミッションとしています。
 したがって、仮に私が牧先生の知り合いだからそのプロジェクトを採択するべきだと考えたとしても、それは決して叶わないわけです。実際に、牧先生のプロジェクトについていえば、実のところ2回目のチャレンジでようやく採択されたという経緯があります。初年度の提案では研究計画の具体性や日本で実施する意義を厳しく指摘され、残念ながら採択には至らず、他の提案と同じく今後の活躍をお祈りをされたはずです。ところが、そうした形式的なお祈りなどに懲りることなく、翌年に再挑戦する形で提案されたのが、この「スター・サイエンティスト研究プロジェクト」だったというわけです。敗者復活戦というわけではないにせよ、2回目の挑戦となるこのプロジェクトは、その構想の斬新さや将来的な発展性、政策的な観点からの期待の高さ、そしてなによりも研究者の熱意をプログラムのマネジメントチームが評価した結果、ついに採択を勝ち取ったわけです。繰り返しになりますが、こうした経緯において幾分も私の判断や意向は影響していません。

3. 政策は科学ではない
(1)政策のための科学
 さて、話を本題に戻したいと思います。「スター・サイエンティスト」。この古くて新しいテーマに大胆にも挑戦を試ようとする牧先生率いる新進気鋭のプロジェクトを採択したのはRISTEXの「科学技術イノベーション政策のための科学」という研究開発プログラムです。このプログラムの狙いは、非常に明快です(もっとも明快であることと、具体性があることとは異なりますが)。
 我が国の優秀な官僚たちのある種の特異な技能として発達してきた「経験と勘」に基づく政策形成から、どのようにすれば”Evidence based policy making(EBPM、証拠に基づく政策立案)”にポジション・チェンジしていけるのか、というのがプログラムに課せられた大きな問いです。そうした問いに対する答えを中長期的に導いていくうえで、そのパイロット・スタディとなりうるプロジェクトに対してファンディングをしていこう、というのがプログラムの基本的な趣旨になります。文部科学省の旧科学技術庁系の事業である「科学技術イノベーション政策における「政策のための科学」推進事業(SciREX)」の一環として稼働していることもあり、その対象は「科学技術イノベーション政策」1 2ということになっていますが、この「科学技術イノベーション政策」という政策が、一体どのような政策体系のことを指しているのか、また誰が所掌し、具体的にどのような事業や施策が包含されているのかが必ずしも判然としないこともあり、実態としては旧科学技術庁の所掌事務を越えて、様々な分野/領域の政策を対象とする研究開発プロジェクトを採択しています。

(2)政策と科学
 あくまでも私個人の理解するところであり、SciREX事業やRISTEX、そして「政策のための科学」プログラムの公式の見解ではないことをお断りしたうえで、ここでなぜ「政策のための科学」や「EBPM」といった概念が提唱されているのかについて、卑近な例を交えながら少しばかり考えてみたいと思います。
 結論から申し上げれば、「政策」が科学とは異なる価値に基づいた営みであるということに尽きるのではないかと思います。科学あるいは科学的な営みは、誰がどうみても正しいと思えることを科学者/研究者らが一つ一つ丁寧に明らかにしていく試みです。それゆえに、たとえば別の第三者が同じプロセスを踏まえたとすれば、同じ結論にたどり着くのが「科学」といえるでしょう。
では、「政策」はどうでしょうか(この話を突き詰めていこうとすれば「政策とは何か」というそれはそれで深淵に踏み込んでしまいますので、あまり深入りしないようにしたいと思います)。政策は中央省庁の職員であれ、地方自治体の職員であれ、ある公共団体のメンバーである公務員を主たるアクターとして、税金を原資とする予算を編成し、それを執行することで実施していく事業や施策の総体のことを指します。政策と一言でいっても、医療や介護のような社会保障を目的とした給付行政の形もあれば、治安の維持を目的とする警察行政や農林水産業の保全や振興を目的とするもの、初等中等レベルの教育機会を等しく提供していくものまで、テーマだけでも実に多岐に及びます。ましてや、窓口業務のようなストリートレベルから法令審査や人事といった業務としての種別まで含めれば、「政策」の体系は実に多くの人々の手によって構成された非常に大規模かつ複雑なシステムであることがわかります。とりわけ日本の場合には、語弊を恐れずにいえば人々の営みに関するほとんどの事柄が何らかの「政策」に紐づけられているといっても過言ではないでしょう。
 このように単純に整理してみるとおわかりになると思いますが、政策は優れて人間的です。人々の営みを対象に、人々が営んでいるものの集合であり、そのための術技(art)であるといえます。人々の営みは、その多くが何らかの「価値」に結び付いています。「楽しい」「美味しい」「美しい」「愛おしい」といったもの、またその反対に「きつい」「まずい」「面倒くさい」「嫌い/憎い」といったものももちろん含まれます。こうした人間が普通に生活をしていれば自然と抱えることになる感情や情念をも、「政策」というシステムはときには矛盾したままに内包することになるわけです。これは、明確に「科学」とは異なる点です。

(3)「政策」としての評価プロセス
 ここで、先に「依怙贔屓」の結果として採択されたのではない、とあえて述べたことの伏線を回収したいと思います。
 近親者や知人が欲する何らかの利益がある場合に、自分の裁量や工夫、働きかけを行うことでそうした便宜を供する。どこかで聞いたようなお話ですが、人が人である以上、人々の営みにはこうしたことが容易に起こりうるものです。しかし、これではそうした権能のある人と知り合いであるか/そうでないか、そうした人物に便益を提供しているか/していないか、によって得られるチャンス、そうしてそこから生まれる果実に大きな差が生じてしまうことになります。一方で、それでは不平等だということで、ここに何らかの決め事=ルールを設けることによりそうした不平等を解消していくこと、これも政策の重要な役割ということになります。これは、「不平等はよくない」という人々の価値判断を後ろ盾とするものであり、何らかの科学的なエビデンスに基づくものではありません。
 ただし、ここでいう「決め事=ルール」が、一体どういう内容であればより多くの人々が実際に「依怙贔屓」をしなくなるのか(たとえば罰をどう設計するのが社会的抑制として効果的なのか、人々はどういう環境と条件において依怙贔屓をしたくなるのか等)、逆にどういう条件が満たされていないと形骸化してしまうのか、こうした政策の内容や在り方を検証・探求する試み自体は、まさに「科学」たりえるものではないでしょうか。先の「依怙贔屓」の例でいえば、利益相反という概念を用意したうえで、利害関係者が評価には関与をしないという決め事をし、そして利害関係者に該当する要件(ルール)を予め定めておくことがそうした試みにあたります(もっとも、これは過去に依怙贔屓が横行したことがあることの反省に基づく経験的な知見であるともいえるかもしれませんが)。
 私の場合には、そもそも評価者ではなく、プログラムの事務局の一員ということで評価には関与しないということをもって、この利益相反には該当しないということになるわけです。

(4)研究開発政策を問う
 では、本当に研究開発政策の実施過程にこうした「依怙贔屓」は存在しないのでしょうか。「偉い先生であるから」「著名な賞を受賞しているから」「有名な大学に所属しているから」「業績がたくさんあるから」「インパクト・ファクターが高いジャーナルに論文が掲載されているから」等々、これらはファンディング・エージェンシーにいるとよく聞かれるリーズニングのための言葉たちです。それぞれに一見すると最もらしい言葉たちでもあります。
 ですが、少し考えてみると、これらの言葉とファンディング・ポリシーにおける「決め事=ルール」とは何ら直接的な関係がないことがわかります。何かを決めたり判断をする際に、アカデミックにおける評価やステータスは、なるほど確かに参考になる情報であるのかもしれません。しかしながら、そうした評価やステータスは政策としての妥当性や目標達成の可能性を保障するものでは決してありませんし、そもそもそのような動機で生まれたものではありません。その意味でも、アカデミックの世界で評価を受ける仕組みと政策的な評価の仕組みにはきわめて明確な違いがあるはずです。もちろん、政策目標を達成するうえで当該ステータスがどうしても必要になる場面というのはありえるわけですが、それは単に偉い先生や業績が多い先生に研究費をつけることとは違います。政策的にその必要性がある、つまりその効果を予測し、評価をしているわけです。そのように考えれば、やはり研究開発投資としての正統性(legitimacy)を証明するには、学術的な評価の仕組みとは異なる手法で、政策としての価値を評価することを置いて他に方法はないといえます。ですが、その境界線は極めて不明瞭のまま様々な制度が運用されているという実態があります。
 研究費が国民からの税金を原資としているためでもあるのですが、一般に、ファンディング・エージェンシーの構成員は「外れ」に投じることをとみに嫌います。自ずと「なんとなく外れることが少なさそう」だと思われる選択肢をチョイスしがちになりますが、それは、正統性のないところに、自らが評価や判断を行うことを回避する行動であるといえます。こうした結果、より安全な投資志向が加速されることになり、投資に対するリターンが約束をされていなければ投資ができない、はずれなしのくじでない限りくじを買うことができない、ということが日常的に起こってしまうことになります。組織や構成員の生存本能のなせる業といってもよいのかもしれませんが、これでは先に述べた「依怙贔屓」と結果的に何も違いがないということになってしまいます。
 では、ファンディング・エージェンシーの担当者はなぜこうした行動様式やモチベーションに陥ってしまうのでしょうか。それは担当者(あるいは組織)の判断の正当性を担保するための要件(決めごと=ルール)が明確に決められておらず、「当たるか外れるか」といったある意味での博打的な結果としてしか評価ができずにいるためではないでしょうか。

4. STEプロジェクトが研究開発政策を科学する
 ファンディング・エージェンシーの活動を研究開発政策のひとつの実施過程であると考えた場合に、そのオペレーションをより科学的な裏付けのあるものとすること、それは「政策のための科学」あるいはSciREX事業の本旨に最も接近しようとする試みです。情理とは不可分の営みである政策に対して、科学的な知見によってどれだけ合理性や妥当性を組み込むことができるか、それが「政策のための科学」としての文字通りの挑戦になります。
JSTやRISTEX、プログラムが期待するところとはやや異なるかもしれませんが、私が個人的にSTEプロジェクトに期待するのは、まさにこの点です。具体的には、プロジェクトの活動を通じて、下記のような点についての有形・無形の知見が創出されることを期待したいと考えています。

・ファンディング・エージェンシーは、そもそもどのような対象に対して公的な資金を投資するべきなのか。
・対象をどのように評価するのか(スターであるか、スターでないか、あるいはその他)。スターに投資をする場合とスターではないが学術的に将来的な発展が期待できる研究者に投資をするのとで費用対効果がどのように異なるのか。
・投資をすべき対象がスター・サイエンティストである場合のインパクトをどのように評価するのか。
・スターに投資をする、非スターに投資をする、その判断の違いをそれぞれどのように正当化するか(研究開発投資の「選択と集中」の是非)。
・研究開発投資の歩留まりをどのように正当化するか

 研究開発投資には、財政的に大きな制約があります。スターに投資をすることが、限られた資源を有効に活用することは疑いようがありません。他方で、富める者がより富むことが、結果的に貧しい者をも富ませることになる、といったトリクルダウンのような話だけでは正当化できない側面が公的な資金を原資とする研究開発投資にはあるのも事実です。そのようななかで、「スター・サイエンティスト」に投資をすることの合理性をぜひとも明確にしていただければと考える次第です。それが、ひいてはファンディング・エージェンシーの担当者の判断の根拠や基準を与えることにつながるのではないでしょうか。

5. 最後に
「科研費とは違う」と念仏のように唱えながらも、最終的には政策的な評価の側面をすっかり忘れて学術的な評価手法に依存する。あるいは、学術的な評価や立場、ステータスを頼りに、なんとなく「はずれなさそう」という安易な判断をしてしまいがちなファンディング・ポリシーの形成過程に、ぜひとも一石を投じていただきたいと願うばかりです。スター・サイエンティストへの集中的な投資と戦略的な育成は、研究開発政策というレベルでいえばある種の選択と集中を促すことを意味します。費用対効果を含め、そのインパクトを検証することを通じて、研究開発投資のあり方を問い直すような示唆をぜひとも創出していただきたいと期待しています。
 
我々は、社会科学における将来的なスター・サイエンスティストの一人に価値ある投資をしたと確信しています。

1「科学技術イノベーション」の定義は多岐に渡るが、たとえば第4期科学技術基本計画(平成23年8月19日 閣議決定)では、「科学的な発見や発明等による新たな知識を基にした知的・文化的価値の創造と、それらの知識を発展させて経済的、社会的・公共的価値の創造に結び付ける革新」と定義されており、その後の第5期科学技術基本計画(平成28年1月22日 閣議決定)においても踏襲されている。
2「科学技術イノベーション政策」とは、第5期科学技術基本計画(前掲)において「経済、社会及び公共のための主要な政策の一つとして、我が国を未来へと導いていくためのものである。したがって、政策の推進に当たっては、この政策によりどのような国を実現するのかを明確に提示し、国民と共有していくことが不可欠である」とされている。

 


次回の更新は8月31日(金)に行います。慶應義塾大学大学院理工学研究科の福留 祐太さんによる「データ分析系大学院生がスター・サイエンティストを探る」です。