[ STE Relay Column : Narratives 072]
森田 善仁「Another Sky」

森田 善仁 / 早稲田大学経営管理研究科 / アクセンチュア 

[プロフィール]奈良県奈良市出身。高校まで関西で過ごした後、故郷を離れ東北大学へ進学。在学中に陶芸と出会う。以後14年ほど継続していたが今は休憩中。大学卒業後は計測機器、実験ツールの専門商社である東陽テクニカに入社。輸送機器産業の研究開発を支援する。セールスエンジニア、プロダクトマネージャーを経験し、同社経営企画部に異動。予算管理や中計策定、インキュベーションプログラムの立ち上げに従事。19年9年に東陽テクニカを退職。10月からアクセンチュアに所属、主に通信、メディア、ハイテク系企業の支援に従事する。早稲田大学経営管理研究科 夜間主プログラム2年 入山ゼミに所属。
趣味:自宅の1階にできたanytime fitnessで体を動かすこと、将棋(アマチュア2段)と将棋ソフトの開発、妻のために毎朝美味しいコーヒーを淹れること。

はじめに
夏のスタディツアーから戻ってきて早いもので2ヶ月が経過しました。その間、私の身の回りでは色んな事が起きています。11年半勤めた会社を辞めて、新しい職場で働き始めました。修士論文の作成に追われるようになり、そして先日祖母が他界しました。しかし、慌ただしい生活だからというわけではないですが、スタディツアーに持っていた私自身の問いはずっと棚上げしたままです。

これは今年の9月にSan Diegoで行われた牧ゼミのスタディツアーに私が同行させていただき、感じたことをまとめたものです。そもそも牧ゼミ生でもない私がこのツアーに参加させていただけたのは、牧さんが授業「科学技術とアントレプレナーシップ」の履修者に対して、スタディツアーへの参加を呼び掛けてくださったからです。San Diegoへ行く機会くれた牧さんと、ゼミ外からの参加を快く迎えてくださった牧ゼミ生の皆様、そしてツアーの準備にご尽力くださった、全日ゼミ生の佐々木さんと、秘書の石井さんに改めて感謝申し上げます。

地球一周の旅
やっとRadyに辿り着いた…気づけば、出発してから約40時間も経過しているじゃないか。でも目の前にいるみんなは、バタバタしていて私にかまっている暇は無さそう。どうやら授業開始時刻が迫っているにも関わらず、大事な資料がうまく印刷できていないようだ。
そんなことより早くシャワーを浴びたい…このテカリついた顔面と、臭い頭をどうにかしたい…

私はこのツアーに参加する直前、自分が所属する入山ゼミのスタディツアーに参加していました。そこから自宅へは帰らずにそのままサンディエゴに向かったのですが、出発地はヨーロッパ屈指のリゾート地であるクロアチアのDubrovnik(魔女の宅急便や紅の豚のモデルになった街と言われています)、目的地はサンディエゴにあるUC San Diego, Rady school of management。途中で、ウィーン、成田、サンフランシスコと、なんと3箇所も経由し、地球をほぼ一周する長旅になりました。ウィーンから成田に向かう機内で風邪を引いてしまったのですが、サンフランシスコに到着した時には治りかけていて、目的地であるサンディエゴに到着したときは、風邪なのか、疲労なのか、時差ボケなのかもわからない状態でした。

スタディツアー
早稲田大学ビジネススクール(WBS)では、大学が長期休みに入ると、所属するゼミの指導教員、ゼミ生スタディツアーを実施することが恒例になっています。各ゼミがその時々の興味にしたがって、滞在先を選定するのですが、ツアーの目的やアクティビティも大きく異なります。修士論文や、実業に引き付けて企業訪問を計画するゼミもあれば、海外のビジネススクールを訪問するゼミ、昼夜問わずひたすら飲み倒すゼミなど様々です。ツアーはその中身ももちろん重要ではあるのですが、数日のあいだ、家族でも昔からの友人でもないメンバーで寝食を共にすることはとても貴重な時間です。旅の前半では、その日起きたことや、WBSの日常について語り合うわけですが、日が経つに連れて自然と、これからのキャリアや、家族、仕事に対する価値観、人生感などについて話をするようになりました(時には飲みながら)そんな身の上話を重ねる中で、ゼミの結束力が一層高まるのを感じました。この年齢になっても生涯付き合える先生や友人と新たに出会える。ゼミ制度はWBSの最も素晴らしいところの一つだと思います。

牧ゼミのスタディツアーは9月の約一週間、サンディエゴを中心に活動します。牧さんがこの時期UCSDで授業を持っているので、そこに後からゼミ生と外部から参加したメンバーが合流します。ツアーが始まる前から、Slack上でケースやガイドブックなどを共有して頂いたので、具体的なSan Diegoのイメージを持って参加することができました。このツアーでやったことの全てに触れることができませんので、一部を列挙しておきます。とにかく盛り沢山でした。

イベント・訪問先
・牧さんの知人・友人をステイ先に招いて、牧ゼミ研究テーマ発表会&ホームパーティ
・UC San Diego, Rady school of management
クラスAの最終発表会に審査員として参加
Field experienceの専門家であるProf. Eric Floydの特別講義
・ソーク研究所(後述)
・プロジェクトベースという新しい形の教育を模索する学校High Tech High
・遺伝子シーケンサーを開発、製造、販売するillumina
・San Diego 密着で35年活動するAccelerator、connect

飲食系
家でBBQ, ブルワリー×2、Benihana、イチロー御用達だったとか?Sushi Ota、サードウェーブ系コーヒースタンドのはしりBird rock coffee、Phil’s BBQ、Estancia hotelのレストランでディナー

立ち寄った場所
・Mt Soledad National Veterans Memorial
・サンディエゴ国際空港が見下ろせる住宅街の丘

ところで、今回の私はヨーロッパとアメリカを行ったり来たりして、なかなか非効率な旅程でした。先にも述べた通り、会社を辞めることが決まっており、たまった有給を消化するべくツアーをハシゴすることが出来たのですが、とはいえ、妻を一人にして2週間も渡航することには少々抵抗感があリました。「こんな機会は中々ないから、全力で楽しんでおいで」と快く送り出してくれた(少なくとも私はそう認識していた…)妻に感謝しながら、旅に出ました。強行日程にも関わらず、今回San Diegoへ行くことに決めたのは、2つの理由からでした。

一つ目は、第二の生活拠点を持つ事に対する憧れです。

そう、「Another Sky」です。

私なりの定義だと、一年のうちにあるまとまった期間決まった場所へ滞在し、余暇の時間を過ごすとともに、リモートで仕事をこなす、出来ればサイドビジネスをして休暇中の生計を立てる。そこに住む人たちと交流して、土地のものを食べて、お酒を飲む。ポイントはただ観光をするわけではなくて、その土地で腰を据えて活動するということでしょうか。そのためには地域のコミュニティに参加していなければなりませんし、仕事を得るとなるとさらにハードルが上がります。なぜそこまでしてAnother Skyを持つべきかというと、普段の生活圏を離れた場所でしか得られない、生の体験によって自分の認知範囲を広げるためだと考えています。ホームタウンで生活しているだけでは知りえないものが、人々との交流を通じて、得ることができます。新たな視点や価値観に出会い、興味を持ち、それをホームタウン(日本)へ持ち帰って実業に活かす。さらには得た人的ネットワークを利用して新しいビジネスを作ることもできますし、自身をコミュニティハブとすることで、双方を行き交う人と情報からさらに新しい気づきを得ることもできます。誰でもアクセスできるインターネットに流れている情報の価値が下がっている今、自分で足を運んで発見し、五感で感じ取ったものは、自分にとってとても価値が高いわけです。ちょっと大袈裟かもしれませんが、生涯を終えるときに幸せだったかどうかを決めるのは、どれだけ多くの価値観に出会えたかだと私は考えています。ですから、私は日頃から誰とでも分け隔てなく付き合うことを心がけてきました。今回の旅では、Another Skyを見つけた、まさにロールモデルとなる牧さんが目の前にいるわけです。牧さんにとってAnother Skyとは、どのような意味を持つのでしょうか。

そして、二つ目はこれから先の自分自身について考えるためです。

「いったい自分はどうありたいのか?」

ビジネススクールにいると折に触れ、knowing, doing, beingという言葉耳にします。これはHarvard Business Schoolが、先の世界金融危機をきっかけにリーダー育成について見直したことがきっかけです。Knowing(インプット)重視だった教育方針を見直して、doing(アウトプット)学んだことの実践, being(価値観、ありたい姿を形成する)も重視するようになりました。私は社会人としてのスタートを切る時期が普通の人より遅く、そして30代も後半になったところで、遅まきながら初めての転職を迎えました。そして、WBSの卒業も目前に迫ってくる中で、卒業後は何をやろうか、40代をどうやって生きていこうか、そもそも自分は一体どうなりたいのか?という、これまでは漠然と考えていた問題が、突如締め切りが迫った学校の課題のように私の前に立ち広がってきたのです。そんなこともっと早く考えておけよと言われそうですが、恥ずかしながら「森田はどうありたいの?」と聞かれても、それっぽい答えを返すことはできますが、自分の中で真に腹落ちした答えを持ち合わせていなかったのです。
牧さんは30代の中盤をSan Diegoで過ごしています。博士号を取得するために、異国の地で1人、言葉の問題もある中、とても苦労されたと伺っています。その中で、苦しみながらもSan Diegoに生活の基盤を築く過程で、自分がどうありたいか(being)という問いに何らかの結論を出したのではないか?その牧さんがいるSan Diegoに一緒に行って、何かヒントが掴めないかと思ったからです。
長くなりましたが、まとめると、私はこの旅でSan Diegoから何かを得たかったわけではなくて、San Diegoにいる牧さんから何かを得たかったのです。

San Diego


全ては書けませんので、最も印象に残った場所をご紹介します。それは、Rady schoolからほど近いラホヤ地区に建設されたソーク研究所でした。ソーク研究所はポリオ(小児麻痺)ワクチンを開発したJonas Salkの依頼を受けて、建築家のLouis Kahnが1966年につくりあげた生物・医学系の研究所です。1000人に満たない研究者が所属する小規模な研究所ですが、論文引用数では世界トップクラスを争います。
中に入ると、大きく開けたファサードの両サイドに彫刻のような研究所が左右対象に並んでいます。コンクリート打ちっぱなしでエッジが効いた外観に、チーク材の窓枠が適度にアクセントとなって硬い印象を和らげていて、ファサードの正面奥にはサンディエゴの空と海がまるで写真や絵画のように埋め込まれていました。ソーク研究所はその形式美がとても優れているために、世界中から観光客を惹きつけるのですが、設計思想もとても美しいものでした。ソーク博士がカーンにリクエストしたのは、「研究者のコミュニケーションが良くなること」「メンテナンスの費用がかからないこと」です。コンクリート打ちっぱなしの壁が研究者に冷たい印象を与えないように、地下にある通路の側には公園が大きくとられていて、研究者同士がコミュニケーションしやすいようにテーブルと机が置かれていました。また、メンテナスの面では、建物のベース部分に建屋設備や実験装置から出る配管・配線を逃すための空間が設けられていて、将来的に何か大掛かりな実験装置を入れたとしても、居住スペースへの影響を最小限に抑えるような工夫がされています。(計測機器を扱う商社に勤めていたから分かるのですが、大型の設備を納めるときに配線・配管をどうやって逃すかはいつも頭を悩ませる問題です)ソーク研究所は芸術と評されることもあるそうですが、前述の通り、形式美と機能美も備えている建築物は、工芸・工芸品という表現が私にはしっくりきました。
しかし、ソーク研究所がさらに素晴らしいのは、研究所としてのPhilosophyが建物の一部に反映されていることです。ファサードの中央には海に伸びていく一筋の水路があり、それはknowledge flowと呼ばれています。研究所から生まれた“知”はknowledge flowを通じて海に流れ出ていく様子が表現されています。ソーク研究所は非営利組織です。この研究所から出てきた研究成果は特定の人のために使うのではなく、ポリオワクチンが世界中の子供たちを救ったように、太平洋に流れ出て広く世の中のために使われて欲しいというメッセージが込められているそうです。この話をツアーガイドから聞いたときは本当に感動してその場にただ立ち尽くしてしまいました。
Jonas Salkがスターサイエンティストの定義に当てはまるのかはわかりませんが、彼がいなくなった後も、研究所は高い成果を上げ続けています。目に見える形で残した思想や哲学が、後に続く研究者のパフォーマンスにどのような影響を与えたのか?与えるとすればどんな形で残せば良いか?興味深いテーマだと思いました。

今回のツアー中、牧さんは自身の全ての引き出しを開けて、我々にSan Diegoの知人、コミュニティ、お気に入りの場所、暮らし方などを紹介してくれました。そして、少しでも時間が余れば、ブルワリーに行ったり、ウニを卸に買いに行ったり、アウトレットに寄ったり。どこに行っても、牧さんは本当に楽しそうにSan Diegoの町を紹介してくれました。それはSan Diegoが素晴らしい街であることを我々に伝えたかったというのもあると思いますが、自分だけのAnother Skyを持っていれば、Quality of Lifeが上がるということも同時に教えてくださったのだと思います。
そして、この旅の間ずっと「自分はどうありたいか?」を考えていたのですが、結局結論は出ませんでした。ただ、仕事でも趣味でも自分がこれだと思ったものを徹底的にやり抜いた結果、自分の中から湧き出すように内発的にbeingが生まれるのではないかと考えました。自分がどうありたいかという問いは一旦棚上げして、夢中になってとにかくやり切る。それを繰り返しているうちに、beingの点と点が繋がって線になり、一つの道が出来上がり、ある時後ろを振り返ると、自分がどうあったかが、初めて理解できる。今はそれで十分だと思えるようになりました。 では、打ち込めるものを見つけるにはどうすれば良いか?それには好奇心がとても重要だと思っています。
私は年齢を重ねても楽しく生きるために、一番大切なのは“好奇心”であると考えています。好奇心があれば何かに夢中になれます。夢中になっている瞬間は自分が何をやっているかはあまり重要ではなくて、とにかく本人は楽しんでいるはずです。でも好奇心を常に一定に保つことはできなくて、私は燃料のように捉えています。使えば減りますし、減ったら充填しなければなりません。日々の生活の中では楽しい時間だけでなく、辛い事や、仕事でどうしようもなく疲れている時もあると思いますが、それでも好奇心があれば、それを燃やして何とか前に進むことができます(楽しめるように工夫する)では、どうすれば好奇心を充填できるか。単純ですが日頃から新しいものに触れるしかありません。新しいものに触れた結果、その中のいくつかに興味をもち、さらにその中で好奇心が芽生えるものが出てくるんだと思います。

最後に
私のとても好きな言葉をご紹介します。2016 年STARMUS Festivalに「車いすの天才科学者」Stephen William Hawking博士が「わたしの人生(A Brief History of Mine)」というテーマで講演された中の一節です。

Remember to look up at the stars and not down at your feet. Try to make sense of what you see, and wonder about what makes the universe exist. Be curious. And however difficult life may seem, there is always something you can do, and succeed at. It matters that you don’t just give up.

訳:うつむくのではなく、顔を上げて星空を眺めよう。いま目にしているものを理解しようと努め、宇宙はなぜ存在するのか思索しよう。好奇心を忘れてはならない。人生がどれだけ困難に思えようが、あなたが取り組み、成功できるものが必ずどこかにある。大切なのは諦めないことだ。

全身の筋肉が徐々に動かなくなる筋委縮性側索硬化症(ALS)と闘い続けたHawking博士は、偉大な研究成果を残しました。しかし、博士の日常を想像してみると、日々体の自由が奪われ、一つずつ機能が停止していく様子は、ちょっと気を抜くと恐怖のどん底に落ちて二度と上がれなくなってしまいそうです。それでも、博士は絶え間ない好奇心に突き動かされ、研究に没頭することで、常に死と隣り合わせにあるという恐怖を乗り越えることが出来たのでは無いでしょうか。好奇心は生きるための源泉と言っても過言ではないのです。

好奇心を保つためにはどうすれば良いか?

Hawking博士は「空を眺めよう」と言ってます。
あなたも自分のAnother Skyを見つけてみませんか?
最後まで読んでくださってありがとうございました。
もう一度、牧さんに感謝の意を表したいと思います。

番外編:ついに本場を訪れた感動、そして意外な感動
おまけです!
本場といえば、そうですBenihanaです。Benihanaといえば、ビジネススクールにおいてはオペレーションを学ぶだめのケース題材。私にとっては、アメリカの鉄板焼きレストランではなく、日本橋にある“スリランカカレー”の紅花でした。遠く海を渡ったアメリカに本物のBenihanaがあると知ってから、ずっと遠距離片思い状態で、気づけば10年が経過していました。しかし、ついにその日がやってきましたのです。恐る恐る店内に入ってみると、赤を基調とした店内に、日本の戦国時代の甲冑が飾られていました。なるほど…色とインテリアで客の食欲を増進させて、飲食時間を短縮して、回転率をあげる仕組みだな。などと一人興奮して店内を観察し回っていました。
この日私に与えられたミッションはただ一つ、Benihanaのオペレーションを乱すこと。それほど混雑してなかったのでスタッフも心なしかゆったりしているけど、空気を読まずにぶち壊す!(気弱なので、心の中でシェフに謝りたおしながら)WBSチャーハンクラブの部長として、真っ先に思い浮かんだのは、「店内に食材と道具を持ち込んで、鉄板の端っこで何くわぬ顔でチャーハンを作る」ですが、Youtuberでもない私にとっては流石にハードルが高く、躊躇してしまいました。がしかし、遠距離片思いがようやく身を結んだわけですから、何か爪痕を残さねばと散々悩んだ挙句、ガーリックライスを楽しそうに作り始めたシェフに向かって、私の口から出てきた言葉は

「May I join in ??」(英語あってるのか?…)

結果は一生忘れない思い出ができました。
ありがたいことに?その様子を収めたビデオは授業でも使っていただき、私の奇行が大勢の目にさらされることになったのですが、学生の反応は“ややスベリ”という素晴らしい評価をいただいたそうです。
忘れていました。お肉の味ですが、とてもリーズナブルで美味しかったです。約50USDの標準のコースだったと思いますが、肉質、コースのボリューム、シェフのパフォーマンス(しかも顧客参加型)、どれをとっても満足できるものでした。

意外な感動の方はバーベキューです。正直なところあまり期待していなかったのですが。
それは、帰国前日の夜にサンディエゴ パドレスのホームであるペトコパークで出会いました。ダウンタウンからほど近くにあるこのボールパークは2004年に開業で比較的あたらしく、アメリカの数あるボールパークの中でも人気だそうです。しかしチームは毎年最下位争い…
牧さんからSan Diegoに来たら必ず食べるべきとお勧めされていたPhil’s BBQは、San Diegoを中心に5店舗が展開されており、そのうちの1店舗がペトコパークの中にあったのです。写真を見てもらえれば分かると思いますが、なんとスタジアムの一角に巨大なバーベキューコンロを構え、薪で豪快に肉を焼き上げていました。日本では安全面を気にして、こんな事絶対にやらないでしょう。アメリカ人のBBQに対する執念です。肝心の味は、薪をつかって焼き上げられた香ばしい肉と、甘さと辛さが絶妙なバランスのバーベキューソース。それに、バラストポイントのスカルピンIPAを合わせれば美味いに決まってます。香ばしく炙られた肉とソースにホップ、3つの香りが重層的に嗅覚を刺激して至福の時間でした。San Diegoグルメツアーでは、このPhill’s BBQがmy favoriteでした。
ちなみにSan Diegoはクラフトビールのメッカとしても有名で100以上のブルワリーが存在するため、ビール好きにも、たまらない街であることを最後に付け加えておきます。


次回の更新は12月20日(金)に行います。