[ STE Relay Column : Narratives 071]
加藤 圭一 「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光」

加藤 圭一  / 早稲田大学経営管理研究科 / ソニー株式会社(ギリア株式会社に出向中)

[プロフィール] 1995年、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、三菱商事株式会社に入社。その後映像製作系ベンチャー企業、NHK関連企業を経て2001年ソニー株式会社入社。グローバルマーケティング(B2B、B2C、コーポレートブランディング、UX)、社内スタートアップ「Fashion Entertainments」のマーケティング統括を経て、現在はAIビジネスのスタートアップ、ギリア株式会社に出向、ブランドマーケティングと事業管理領域を統括。
2019年4月、早稲田大学大学院経営管理研究科入学。長谷川博和ゼミ(事業創造とアントレプラナー)所属。全国通訳案内士(通訳ガイド)。群馬県前橋市出身。

都の西北 早稲田の森に
2019年4月3日、早稲田アリーナでの大学院入学式で校歌を斉唱し、24年ぶりに私の早稲田での学生生活が始まった。
日本中が踊ったバブル時代終末期の1991年4月、私はこの早稲田に入学した。就活で諸先輩方は有名企業の内定をいくつも獲得し、「内定拘束」(内定を与えた学生が他の企業を受験できないようにすること)の名の下に、ディズニーランドだ温泉だレストランだと毎日のように内定先の企業の招待を受けていた。
当然のことながら、自分も4年生になればそのような夢のような世界が待っており、そのまま一流企業のビジネスマンの仲間入りができるものだと思っていた。

バブル崩壊とパラダイムシフト
バブル経済は崩壊し、1993年から就職戦線は冷え込み、私たちの就活の1994年は極寒の地に送られたかのような厳しいものとなった。「就職氷河期」という言葉がその年の流行語大賞で賞を獲得したのもこの年であった。2000年くらいの有効求人倍率が最低だったと記憶しているが、私の時の特徴は、目の前にバブルという楽園があったことと、続くと信じていたものが崩壊し、常識が全く変わってしまう「パラダイムシフト」が起きたときの当事者であったことである。
「当たり前だと思っていたことが、あっという間に当たり前ではなくなる」、今だと「ゲームチェンジ」という言葉の方がしっくり来るかもしれない。無論、今とは状況も異なりそのまま当てはまる訳ではないが、そういう体験ができたことはのちのち意味があったと考えている。
幸い、私は運よく第一志望の企業に入社することができた。しかしこの10ヶ月後に同期の先陣を切って退社することになる。
その後20代で、映像系ベンチャー企業→NHKグループ会社→ソニーと渡り歩き、ちょっとバラエティに富んだキャリアを歩み、今に至る。

技術・オペレーションのマネジメントって?
前置きが長くなったが、WBS初めての春学期を終えた私は秋学期の科目選択をどれにしようかとシラバスを眺めていた。
「技術・オペレーションのマネジメント」に目が止まりシラバスを開くと、「技術・オペレーションのマネジメント(TOM)は、技術経営と生産管理という二つの相互に関連する異なるトピックから成り立っている」・・・反射的に「あー、無いな」。メーカーに勤務している私は一応メーカーマンなので、「生産管理」という文字を認識しただけでいわゆる「管理屋さん」のお勉強だと判断した。しかし、シラバスを読み進めると「現在のTOMは、製品やサービスの開発・製造における技術経営及びイノベーション・マネジメントに関する知見を提供することが主流となっている」とあるではないか。しかも各回の講義の内容は「イノベーション」「デザイン思考」「オープンイノベーション」「産学連携」「IoT」などなど、私の大好物なワードが並んでおり、即決で科目登録完了と相成った。

Takeawayのプロトタイピング@佳里福
どんな講義かなぁ、と思いつつ初回を迎えた。デザイン思考の講義だったが、アイデアやコンセプトの要素を抽出しそれを一旦宙に浮かせて他の事象に当てはめる。そう、牧さんが毎回のように発する「抽象度を上げる」という思考のトレーニングだった。WBSでは「クリエイティブ・シンキング」という講義もあり、この思考法は様々な局面で応用しやすい。特定の領域では固定概念に縛られてしまいがちだが、そのような常識を打破するためにも有用なので、自身の思考パターンに組み込んでおくと非常に役に立つ。
初回の講義のあと、この講義恒例の飲み会に参加した。「今日のTakeaway、全然手が挙がんなかったですよねぇ」と牧さん。学生は予習してきた内容の発言は手が挙がるが、その場での質問には中々即興で答えるのは難しいし勇気が要る。ちょうど講義でプロトタイピングの実践もあったので「例え不完全でも良いから、『Takeawayのプロトタイピングをしましょう』と発言を促しては?」と話すと「それ、いいですね!いただきます!」と牧さん。
うーん、即断即決。理屈こねずにまずやってみようというinnovativeな牧さんの実行力を垣間見た、実に爽快なやりとりであった。この後、私たちは牧さんのシルク・ドゥ・ソレイユばりの「高速PDCA回転」の体験者となるのだが、今思えばその端緒はすでに牧さんのホームグラウンドである大隈通りの中華料理店「佳里福」の片隅で開かれていた。
実際に翌週の講義から「Takeawayのプロトタイピング」がしっかりとスライドに織り込まれており、ちょっと嬉しかった。これにより少しは学生の発言が増えたような気がするのはバイアスだろうか。

「キャリアをコントロールできてますか?」
講義の詳細な内容は他の方に譲るが、多彩なゲストスピーカーもこの講義の魅力だ。
ゲストの共通点は、イノベーションを起こそうと「成功や安定に安住せず、己が先頭に立って道を切り拓き、現場でやりきっている」人たち。もちろん慶応大学の冨田勝先生を筆頭に挑戦心も実践も半端ない。我々はその挑戦自体に目が行きがちだが、彼らは挑戦することは手段であり、すごい取り組みも普通に毎日実践している。オリンピックで金メダルを目指すアスリートもそうだが、「夢」とか「理想」を実現する人とはこうなのだ、と改めて痛感した。
そして大澤弘治さん。三菱商事を退職されシリコンバレーに渡り、20年以上に渡りベンチャーキャピタリストとして生き馬の目を抜く世界で生き抜いて来た方。そんな方が日本のイノベーションと人材の活性化を推進するためわざわざ日本に帰国し「スタートアップの母数が少な過ぎる」という課題を解決すべく、大企業内の新規事業を促進するファンドを立ち上げ奮闘されている。
「皆さん、キャリアを自分でコントロールしていますか?」奇しくも10ヶ月で辞めた三菱商事の先輩にあたる大澤さんの最後の言葉は私の魂を強く揺さぶった。まさに私やもう少し上の年齢の方がモロに当てはまるわけだが、今の企業には「役職定年」があり、部課長などの役職者も本人の能力に関係なく一定の年齢で否応なしに役職をはく奪され、平社員に戻される。役職があればよいというわけではないが、もう一定の組織を率いて成果を出すことはできなくなる。そうなってから転職活動などあたふたしても手遅れの場合も多い。例え若い世代であっても、会社の人事ローテーションにだけ乗っかりキャリアを築いていくのか、自身が主体的にキャリアプランを考え、「夢」や「目標」や「理想」に向かって戦略的に仕事を選択していくのかでは、何十年後かに随分違いが出てくるのではないか。
言葉を選ばずに言えば、これはMBAに学びに来ている学生に対して、大澤さんの挑戦的かつストレートな問いかけであったと思う。でもやはりここに学びに来ているからには、当たり前だと思っていることと外の世界(グローバルという意味でも)がどのくらい乖離しているのかなど、そのくらいの自問はしながらキャリアを構築して欲しい、という大澤さんの日本のビジネスパーソンへの想いなのだろう。
「やり抜こう」と腹をくくれない仕事はできない、と若気の至りで新卒入社した会社を10ヶ月で辞め、いままで「やりたい」と思える仕事を幸運にも選択的できてきた私だが、改めて大澤さんの問いを受け止めて次の一歩を踏み出したいと思った、忘れられないひとときであった。思っただけではなく、これからそれを行動で示していきたいと思う。

「オープンイノベーション」「産学連携」「IoT」と私
「新しいコト」「他人がやらないこと」が大好物な私はソニーの中でマニアックな領域でのマーケティングのキャリアを歩んできたこともあり、これらの領域で過去にいくつかの印象的で思い出深いプロジェクトを担当してきた。
ソニーのモバイル・ウェアラブルプロダクトを核にグローバルで個人デベロッパー(開発者)、スタートアップから大企業までを巻き込んだ「共創」プロジェクト(LINEの森川さんや舛田さんといった大物、今ではユニコーンを目指すAI企業Cinnamonの平野未来さん、WBS根来ゼミOBのSpectee村上さんなど起業家も)、その一環で東日本大震災後に立ち上がった東北大学国際災害研究所の柴山准教授・仙台市・多賀城市・地元IT企業・近畿日本ツーリストとの震災復興体験・防災教育の共創プロジェクト「AR Hope Tour」、ソニーの社内新規事業創造プラットフォーム「Sony Seed Acceleration Program(SSAP)」において社員数人で立ち上げて事業計画から商品企画・製造・マーケティング・店舗での実営業・管理まで回していたファッションベンチャープロジェクト「Fashion Entertainments」とここでのデザイナーさん(長場雄さん、アンリアレイジの森永邦彦さん、DJ DARMAさん、エドツワキさん、書道家真美さん他多数)や干場義雅さんなどファッション業界の方々とのコラボなど、オープンイノベーションを通じ、普通の業務をしていたら出会えない業界の人々とたくさんの縁を結ばせていただいたことは現在の私の思考や行動の核となっているといっても過言では無い。
この講義は私にとって、自分の足跡を確認できた意義深い講義でもあった。これまで取り組んできた上述の諸活動で縁させていただいた世界中のパートナーの皆さんや海外でのイベント、すべて流され更地となった大地に力強く立つ東北の人々の涙・・・ひとつひとつのシーンを思い出しながら、当時はガムシャラに必死に取り組んでいたことに、今回牧さんの講義や学友とのディスカッションにより学術的な裏付けが加わり、改めて自分の中で深く消化でき再び栄養にすることができた。そして「今まで取り組んできたことは無駄ではなかった」と心から実感することができた。感謝。

「情熱と冷静のあいだ」~牧さんからの学びの抽象化と自分への適応~
他の方も述べているが、牧さんの講義の学びは講義自体に留まらず、その後のFacebookを通したコミュニケーションにも及ぶ。
オンラインにより時間と空間という制約を超え、Equity, Diversity, and Inclusionという牧さんの信念により教員と学生という立場を超越したLearning Communityが形成されている。しかも学生が教員に促されて投稿するのではなく、学生の投稿によりディスカッションが始まることが非常に多いProactiveな世界。
講義においても、回を重ねるごとにまずは自身の考えを発表してみようとプロトタイピング的なアクションが浸透し、冷静だった学生もだんだん熱気を帯びて議論が活発になり、WBSの講義の中でも非常に積極的な発言が多い講義となったであろう。
このように、私自身もそうだが学生たちも講義やコミュニケーションを通して自身の行動が変化してきたことを感じる人も多かったのではないだろうか。
それらを生み出しているのはもちろん、牧さんの講義への情熱とそれが具現化した、素晴らしいTAの方々との綿密な準備と連携により可能となっている新しい手法へのチャレンジ、プロトタイピング化、そして次の回には改善されている「超」高速PDCAといった、講義におけるイノベーションの実践だ。私も経験したことがあるが、リーダー自らが誰よりも実行するその姿を示せば、メンバーも自ずと主体的にフォローするようになり、「次の主体」になっていく。
牧さんの想いの詰まった日々進化するこの講義の随所には、イノベーションの要点が散りばめられている。私は、それを毎回発見するのが楽しみであり、そして発見するたびに独りで感嘆に浸っていた。でもそれは感じているだけではダメだ。Equity, Diversity and Inclusionという信念に基づいた牧さんの(多分講義だけではないだろう)「コト」に向かう真摯な姿勢、とどまることのない改善への飽くなきチャレンジなどひとつひとつの取り組みそのものが学びであり、我々はその学びを「抽象化して自身の日々の生活に当てはめる」ことで、色々なことを良い方向に導いていけるはずだ。
それは最終講義の終了後、自然と湧き上がったStanding ovationと万雷の拍手が証明しているだろう。繰り返しになるが、情熱的に盛り上がった刹那的な想いだけにせず、冷静に日々の行動に具現化していきたい。

Pay forward
牧さんのコメントの中にはNarrativeという言葉が出てくる。目の前で展開されている講義を受け身で聞くだけではなく、自分も積極的に講義やコミュニティに参画しその講義の一部となって皆で講義の価値を高めていくことなのかなぁ、と(かつてUXの担当でもあった)私なりに解釈しとてもすてきなワードだなぁ、ととても共感を覚える。
WBSに入学し講義に臨むにあたり、私はひとつだけ心がけていることがある。
私はWBSの学生の平均年齢より恐らく一回りほど人生経験が長いかと思う。無論、年功序列・終身雇用が崩壊してきている社会において、年齢が上であることに価値があるなどとは毛頭思っていないが、それでも経験量により何かしら得た価値があるのではないかと思っている。そういうこともあり、初めて経験する領域を除いては基本的に講義を受けるだけではなく、何かしらその講義に自らの持てる価値を提供し、講義の価値向上に貢献したいというスタンスで講義に臨んでいる。
牧さんとやり取りをさせていただいている中で、この考え方お話したとき「ぜひ紹介して下さい」と後押しいただいたので、少々恥ずかしいが書かせていただいた。
いくつかの会社を渡り歩き、ソニーでもやりたい仕事を求めてExploreしてきたが、上述のように多彩な方に大変お世話になり、尊敬する社内外のそれぞれの領域のスペシャリストとも出会えたこと、沢山の教えをいただいたことが今の私を形成している。そうして受けてきた恩恵を自分も「Pay forward」し誰かの何かの価値になればと思っている。WBS入学後何度か小規模のネットワーキング会などを開催させていただいており、これからも自らの行動として続けていきたいと思う。

牧さんとの対話
「私は良いビジネススクールがたまたま早稲田にあったので通学しているだけで、別に早稲田に興味はない」という方もいるかも知れないが、縁あってここ早稲田で共に学ばせていただいていると思うので、良かったらお読みいただきたい。

大学から招待状が届き、卒業25年度目の「ホームカミングデー」(「大学に帰ってきてください」という催し)の式典にゼミの同期と落ち合って出席した。早稲田のあらゆるイベントの締めとして恒例だが、かつて同じ時代に同じ場所で時を過ごした同期と共に校歌を歌った。
三番「あれ見よかしこの常盤の森は こころのふるさと我らが母校 集り散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光・・・」の一節に差し掛かった時、「あれ?この感じは何だろう?」・・・胸が詰まって鼻がツーンとして目が熱くなり、声もちょっと詰まってしまった。式典終了後、24年を経て美しくキラキラと様変わりした懐かしのキャンパスを歩きながら、ふと同期に「三番に来たら何か感動しちゃってさ」と言うと、「あ、俺も」と同期の一人。別の同期も「俺もだよ。グッときちゃったなぁ。学生時代は何とも思わずに歌っていたのにさ。また時を経てこうして集まりたいね」。のちに別で参加していた同期とも話したが、おおむね同じような感情を抱いた友も多かったようだ。
バブル崩壊後、大企業がバタバタ倒産する時代で就職した会社が倒産して転職を余儀なくされた同期もいるし、そうでなくても大なり小なり山あり谷ありで、親族など愛する人との別れなど人生の機微も経験し始める年頃になった。卒業してからの24年の人生をそれぞれが過ごし再び早稲田の森に集い、まだ何も考えていなかったあの頃と同じように歌った校歌は、乾いた土に染み込む水のように24年間熟成された私たちの心に沁み入ったのだった。
この三番の歌詞にまつわるエピソードのことを自身のFacebookに投稿したところ、牧さんからメッセージを頂戴した。ご本人了解のもと、そのやりとりをご紹介したいと思う。

(M=牧さん、K=私)
M:「校歌の歌詞とっても良いですよね。僕も三番のそのパートが一番刺さるフレーズだと思います」

K:ありがとうございます。歳を重ねるごとに、このフレーズになると胸が熱くなります。東京に送り出してくれた母や親族を亡くしたり、社会人として色々な経験と時を重ねてくると、本当に心に沁みます。またその直前の「こころのふるさと」は私は地方出身者なので「ふるさと」という言葉はとても感情を揺さぶる強い言葉で、そこからこのフレーズへの繋がりはグッときてしまいます。
願わくば学部だけのものではなく、WBSのみなさんともそんな素敵な想いを持てるような2年間にできればいいなと思っています。

M:とてもその思い素敵です。そうなんですよね。WBSも大学全体の文化に根ざしていること、とても大切だと思います。早慶戦を早稲田側で応援してみて、とっても楽しかったです。
僕WBSに移った時に最初に早稲田の歴史を学ぼうとしたりしました。
ぜひ早稲田の文化のこと色々教えてください。もっと学びたいと思っています。この時の「理想」ってみなさん何か共通のものイメージしてるじゃないですか。それってなんですか?

K: 薄っぺらく言うと世界の平和とか人類の幸福とかいう言葉になってしまいますが、二番に「東西古今の文化のうしほ 一つに渦巻く大島国の」とあるので、明治維新で文明開化して東西文明の交差点になるのが日本であり、その国民である我々が東西調和の「大なる使命を担いて」立ち、世界の平和や平等を前提とした人々の幸福を築いていく、ことが理想なのかなと私は捉えています。
とはいっても、大学時代たいして勉強もせず、卒業後も大学とはツンデレの「ツン」で交わりも縁もほとんどなかったのが、この一年でWBSを始めとして大学とまた縁ができ、色々な経験を経たこの時にまた改めて早稲田について感じたりこのように考える機会をいただけるのはありがたいことだなぁ、と感じているくらいなので、あくまで私見として聞いていただければ幸いです。

M:それ良いですね。WBSはまさにその理想に繋がってる気がします。僕ももっと調べてみます。ちなみに早慶のこの辺りの文化ってそっくりです。ほぼ同じと言っても良いです。

慶応ご出身の牧さんが、現在ご自身が活躍されている早稲田というフィールドに対して真摯に学ぼうとされる姿は「牧さんらしいなぁ」と感心させられつつ、そして何よりもこうした一段深いところの哲学的な対話を通して「心の交流」をさせていただいたことは素晴らしい経験で望外の喜びであった。
なお、私の師匠であるWBSの長谷川博和先生からもこの投稿に対して「素晴らしい。校歌三番のご指摘のところは私のテキストにも使ってあり、アントレプレナーの本質です」とのコメントを頂戴し、先生のもとでアントレプレナーシップを学ぶ私の更なるモチベーションとなっている。
また余談だが、私が自身のFacebookで何回か書いている「ワセメシ」の小エッセイは、実は牧さんの熱いリクエストを頂戴したことも継続のキッカケとなっている。内容はただの懐古趣味ではない。ここで描かれている食堂は、店主の強い意思に基づいた通常ではあり得ない様な、ともすれば常識を超えた非常にユニークなルールやポリシーで営まれていた。それでも学生の強い支持を獲得し閉店後の今なお熱いファンを抱えている。それぞれの店自体がそれぞれの個性を発揮しながら大学を中心としたコミュニティの一翼を担い、早稲田というコミュニティを支え価値向上させていたという点において、Narrativeな存在であったといえるのではないか。

最後に
4月3日の早稲田アリーナでの入学式には来年傘寿を迎える実家の父にも上京し参加してもらった。ある一枚の写真を撮るためだ。
28年前の1991年4月1日、入学式のあと私は父と母と三人で大隈講堂の前で写真を撮った。
笑顔で写っていた最愛の母は3年前にこの世を去り、もうここにはいない。
前回は親に大学を出させてもらったが、多くの人に支えられたくさんの素晴らしい経験を積ませてもらい成長した私は、学費も自分で払える身分になった。
あれから28年。今度は大学院の入学式で、成長した私は感謝を胸に改めて同じ大隈講堂の前で同じアングルで父と(遺影の)母と三人で写真を撮った。28年前の写真と共に一生の宝にしたいと思う。母だけでなく、私を支えてくれた方々でもこの世から散じる去る方も多くなってきた。生きている以上、今生の別れは誰もが避けては通れない。
「集り散じて 人は変われど 仰ぐは同じき 理想の光」
これからの人生は、そうした方々の「理想」を受け継ぎWBSでの学びを糧にしながら「Pay forward」を実践し、理想に一歩でも近づけるよう努力を重ねていきたい。

「技術・オペレーションのマネジメント」という素晴らしい講義と牧さんとの出会いに感謝をこめて。

追伸:
先日、神宮球場にて100年以上の歴史を刻む、秋の「早慶戦」をWBSの仲間と共に観戦した。早稲田出身であるかどうかなど関係ない。ここにいるのはWBSの仲間だ。仲間と声を張り上げ「コンバットマーチ」で応援し、肩を組んで第一応援歌「紺碧の空」を歌った。
学部の友とそうであったように、あと1年ちょっとでWBSの友とも卒業して離れ離れとなる。時は過ぎ、頑張る場所はそれぞれ別々であっても、「理想の光」を仰ぎながら繋がりを保ち世の中を少しでも良いものにしていきたいなぁと強く感じた、秋の神宮の夕暮れであった。

春の早慶戦は新入生が多く、さらに盛り上がりとても華やかです。WBSとして最後の春の早慶戦、仲間同士で肩を組んで大きな声を出して楽しく応援しませんか?


次回の更新は12月13日(金)に行います。