[ STE Relay Column : Narratives 054]
吉岡(小林)徹 「イノベーション研究のための定量分析を開講して:いろいろな「因果」関係」

吉岡(小林)徹 / 一橋大学イノベーション研究センター専任講師 

[プロフィール]]1982年生まれ。大阪大学大学院法学研究科修士課程卒業後、株式会社三菱総合研究所入社。科学技術政策、知的財産政策の調査を担当し、デザインの保護の実態や標準必須特許の保護のあり方についての調査・研究に従事。2015年9月、東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻博士課程修了。その後、一橋大学イノベーション研究センター特任講師、東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻特任助教を経て、2019年4月より現職。専門は知的財産マネジメント、産学連携マネジメント、研究マネジメント。

■「イノベーション研究のための定量分析」という講義と、そのちょっとだけ変わったところ
早稲田ビジネススクールで昨年度・今年度と「イノベーション研究のための定量分析」の非常勤講師を務めている吉岡(小林)です。定量分析の意義については、草地さんがすでに本リレーコラムで触れていらっしゃるので割愛しますが、その利点は、私達が持つ思い込みを取り除いてくれる可能性があるというところにある一方で、限界もあるというところが要点でしょう。

さて、この講義は、イノベーション研究分野の論文にでてくる定量分析の7割方を読み取れるようになり、また、自身の手でそれらを再現できるようにすることを目標としています。そのために、統計ソフトであるStataを使い、因果関係の推定の手法についてひたすら演習を行います。このテーマの演習講義では、統計学の知識がないと理解が難しいような講義が行われることが一般的ですが、この講義では「数式は殆ど使わず、後ろにある考え方と、本当に注意しなければいけないポイントだけ学ぶ」ということを重視しています。正直に言うと「そこそこ有害(かもしれない)計量経済学」(注1)ではあるのですが、定量分析に関心を持ち、ご自身の手でやってみるきっかけとそのための仲間を作るために重要だと考え、敢えてそのようにしています。

定量分析(を元にした因果関係の推定)は今となっては政策立案、そして、経営の現場で国境を超えて求められているものになり、経営学研究ではまして当たり前になっています。しかも、とくに英語ではインターネット上に無償で学ぶことができる機会が多くなっています。しかし、最大のハードルはその入り口です。考え方がわからなければ、自分の手でやってみた経験がなければ、どうにも取っつきにくいのです。そこで、入り口のハードルを下げ、そこから先の自発的な学習の機会を作ることのほうが価値があるのではないか、と考え、ちょっと異色な講義になっているという次第です。

というわけで、
・統計学について詳しくなくてもよい
・数式が見るのが嫌いでも大丈夫
という点で、幅広い方に受講しやすい科目になってはいるかと思います。

ただし、実際の研究に即した演習を通じて体で計量経済学を覚えることになりますので、
・定量分析の基本的な考え方についての事前の理解(後述の森田果『実証分析入門 データから「因果関係」を読み解く作法』は読んでから受講することを強く勧めます)
・ビジネスの中での因果関係に対する感度
・イノベーションの実証分析に関する研究論文を読むことへの前向きな態度(「科学技術とアントレプレナーシップ」の受講が理想的です)
がないとそもそも興味も取っ掛かりもないことになり、15回の授業が苦痛になりかねません。

また、プログラム言語を学ぶという側面がありますので、
・プログラム言語を学ぼうとする姿勢(例えばMicrosoft Excelのマクロを学ぶような感覚です)
・土日を費やして復習し、着実に習得していく姿勢(結構な時間を使います)
が必要になります。しかも、教科書が整っているわけでもなく、インターネット上の英語の情報を手がかりに自発的に学んでいくことも求められており、
・英語でインターネット上のヒントを調べる力
も求められます。

■定量分析の専門教育を受けなかった私が、どうやって知識を身につけたのか?
ところで、上の方のプロフィールをご覧いただくとおわかりになるとおり、私は法学部を出て、法律の解釈学で大学院の修士課程を卒業した人間です。法定損害賠償推定規定とか瑕疵担保責任とかそういう漢字ばかりの世界には強いのですが、計量経済学を体系的に学んだわけではありません。卒業後務めた民間シンクタンクでは、たしかに計量経済学の専門性の高い諸先輩がいらっしゃったのですが、高度な分析は諸先輩に任せ、私はひたすら制度と事例の調査をしていました。データ分析は、Microsoft Excelを使った記述的な統計分析が中心でした(注2)。その後に進んだ技術マネジメントの博士課程では、計量経済学に関する講義が提供されていたのですが、数学的な説明が中心で付いていくのがやっとであったところ、学会発表と重なって1回休んだら途端についていけなったという苦い思い出しかありません。仕方なく、技術マネジメント分野での定量分析の論文を読んで何をやっているか、おおよその理解をした上で、統計ソフトの解説書と統計学の本を睨みながら学んでいくしかありませんでした。ただ、正直にいって遅々として知識の習得は進みませんでした。

そのような中、一気に私の定量分析に対する理解を広げてくれる劇的な本に出会いました。
森田果(2014)『実証分析入門 データから「因果関係」を読み解く作法』日本評論社.
です。著書の森田先生は私が法学を学んでいたころに、若手ながら切れ味鋭い論文を連発し天才ぶりを遺憾なく発揮されていた法学者です。硬い論文が中心の法学の世界で、軽妙な語り口で鋭い議論をするのが森田先生でした。そんな森田先生は、実証分析の世界を解きほぐしてくれました。数式を殆ど使わず、やりたい分析の視点で必要な手法を解説し、しかもそれぞれの手法を使う際の注意点をまとめていってくれたのです。この本のおかげで大きな考え方が理解できるようになりました。

基本的な考え方が理解できるようになると、途端にインターネット上に散らばっている、計量経済学的分析についての記事や論文の意味もわかるようになってきました。研究会での発表や論文の投稿もまた、定量分析について学ぶ機会になりました。無知というのは怖いもので、間違った分析をしているのにも関わらず堂々と発表していたのですが、参加者や匿名の査読者が厳しく指摘してくださるのです。こうやって泥臭く知識を身に着けていき、研究者として1年目になる頃には、大きな間違いはしないようになっていました。

■なんで、私が定量分析の講師に!?
さて、ここでお話しておかなくてはいけないのは、そんな現場での実践で得られた知識しか持ち合わせていない私がWBSで講義を担当することになった経緯です。

転換点は、そのまさに1年目でした。一橋大学の社会人向けプログラムで、6コマ(約10時間)分、定量分析の基礎の講義をする機会が回ってきたのです。与えられてミッションは多様な受講生のバックグラウンドにあわせて「数学がわからない人でもわかる演習講義にすること」でした。これは私の泥臭い経験が生きそうだ、ということが動機になり、一生懸命、講義の準備をしました。この準備そのものが私にとっての学びにもなり、定量分析に対する理解を深めるさらなる契機にもなりました。

特に大きかったのは、Stataの使い方の理解が深まったことでした。元々私はRを使っていたのですが、一橋大学ではStataを使う教員・学生が多く、Stataの使い方も演習で担当することになったのです。講義をしている人間が一番学んでいたのではないかと思うと、受講生の方にちょっと申し訳ないのですが、いずれにせよ、私にとって大変よい学びになっていました。

ここに目をつけたのが牧さんです。

牧さんとは、研究分野が近いということで、牧さんが博士号取得直前に帰国された際の研究会で知り合い、その後、ワークショップで再開したのをきっかけに、頻繁にコミュニケーションをとるようになっていました。牧さんはStataユーザーで、ゼミ生にもStataを使うことを求めていました。同時に、Stataの日本語での実践的な教科書がない(注3)ことにも苦労されていました。そこで私に白羽の矢が立ちました。最初は半日のセミナーでした。確かにこれならば、拙い講義ながらも、自習する手がかりを伝えることができます。

驚いたのはその年の終わりです。正式な講義として受け持ってくれという打診を受けたのです。Stataをみっちり学ぶ15回の講義をやってくれ、これが牧さんからの要請でした。私は定量分析のユーザーではありますが、専門的な学習は受けていません。私はStataは使ってはいますが、Rと併用をしていて、50%も使いこなせていません。こんな人間に講義を依頼するとは、なかなか勇気のある人です。

ともかくも、インターネット上のStataの教材を見て学び、Rについての実践的な解説書と同じ内容をStataで実装する方法を慌てて学び、しかも、既存の解説では抜けている、定量研究をする際に実践的に必要な知識をまとめ上げた形で、半ば泥縄式に作り上げたのが「イノベーション研究のための定量分析」でした。予習・練習をしてはいたのですが、講義をしていて自身の理解が間違っている箇所に気が付かされるなど、受講生の方に申し訳ない場面もあったのですが、なんとか1セメスターを乗り切ることができました。30名を超える方に受講いただき、その中から非常に優れた定量分析を修士論文にされた方も出るなど、やりがいのある授業でした。実際のところは、私自身のSTATAのスキルと定量分析の理解を一気に深めることが並行して進んでいるスリルある授業でした。

何の因果か、そんな泥臭い経験に裏付けられ、泥臭い知識の付け方をお話する「イノベーション研究のための定量分析」も今年2年目を迎えます。なぜか10/20(日)の組織学会年次大会(場所:西南大学(福岡市))では、Stataの演習ワークショップも開くことになりました。偶然の連鎖とは恐ろしいものです。泥臭いStataでの定量分析の仕方を学びたい方、どうぞ受講下さい。

(注1)ヨシュア・アングリスト = ヨーン・シュテファン・ピスケ(著)(2013)「ほとんど無害」な計量経済学―応用経済学のための実証分析ガイド. NTT出版.のオマージュです。
(注2)計量経済学的な分析では、クライアントのすべてのステークホルダーにとって腑に落ちにくく、アクションにつながらないというのも、記述統計分析が中心であった理由です。
(注3)松浦寿幸(2015)Stataによるデータ分析入門 第2版 経済分析の基礎からパネル・データ分析まで.東京図書.は非常によい入門書ですが、もう少し発展的な内容のものは新しいものがありませんでした。


次回の更新は8月16日(金)に行います。