[ STE Relay Column : Narratives 123]
葛西 信太郎 「途中に在って家舎を離れず。家舎を離れて途中に在らず。」

葛西 信太郎 / 早稲田大学 経営管理研究科

[プロフィール] 1987年京都府京都市生まれ。京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修士課程を修了。2011年に三井物産株式会社/情報産業本部入社。国内テレビ通販事業や放送事業の事業管理、及び新規事業探索に5年間従事した後、国内BS放送局(BS12)に約3年間出向し、2018年より三井物産労働組合専従(現職)。2020年4月に早稲田大学大学院研究管理研究科(夜間主総合)に入学。1995~1999年の4年間は中国/寧波で育ち(現地小学校卒業)、2013年には社内研修でCA州/LAのシニアリビングでのインターンを3か月経験。趣味は和食料理と海外旅行(15か国)。家族は妻と息子とネコの4人家族。

 

1. はじめに
2020年秋、私は牧さんの「技術・オペレーションのマネジメント(以下TOM)」を受講し、大変多くの学びを得ました。年の瀬の今、講義全体を振り返って思い出すのは、意外にも「途中に在って家舎を離れず。家舎を離れて途中に在らず。」という臨済録の禅語でした。この言葉は、以前町田宗鳳という和尚さんから聞いた言葉で、「目的地を定めるから道に迷う。目的地と途中の道のりに本来区別はない。」という様なニュアンスで語られました。当時の私はどちらかと言うと、目標と現実のGapを埋める動き方に執心しており、少し困惑しました。それが今、TOMを経て、改めて真意を理解したような気がしています。その理由は「具体と抽象」の往復を学んだからです。
今回、貴重なコラム執筆の機会を頂きましたので、今後より多くの方がTOMを体験して頂けることを願って、私自身の学びの経験をご紹介させて頂くと共に、履修を検討していらっしゃる方の背中を押したいと思います。

2.TOMはどの様なプログラムだったか
私がTOMを履修したきっかけは、選択必修コア科目に含まれていたのと、「牧さんのオンライン授業のファシリテーションが秀逸だ」という噂を聞いたから、という非常に頼りないものでした。科目名から「特許活用や生産管理」を漠然と想像していた私は、初回の授業でいい意味で完全に裏切られ、一気に引き込まれました(牧さんのファシリテーションがエクセレントであることは他の方も触れられているので割愛します)。
実際の授業内容は、イノベーションに関連するグループワークやケース討議を行いながら、周辺理論の紹介が行われるという構成でした。講義の前半では、デザイン思考を体験するオンラインワークショップや、比較的伝統的なケース(IDEO、3M)を扱い、純粋な気付きが豊富に得られ、授業参加者同士の理解も進み、Learning Communityとして徐々に一体感が形成されていきました。ところが、後半になって比較的新しいケース(Uber・DJI・23 and Me)、更にはプロトタイプのケース(量子コンピューター、COVID-19関連)を扱うようになるに連れ、ケース討議の意見が二つに分かれる場面が多くなってきました。Uberの急速な普及に伴い引き起こされる弊害の是非、23 and Me社による遺伝情報の活用方針に関する賛否など、イノベーションによって引き起こされる社会の変化の是非そのものを倫理的に考察する場面が増えていきました。
ケース討議では、各参加者がポジションを事前に明確にした上で、各々の陣営の論旨をぶつけ合います(もちろん平和的に)。議論しているうちに自分の考えもブレてきて、「これ一体どう収集つけるんだろう?」と思うことが何度もありましたが、不思議なことに、毎回いつの間にか意見の対立は良質な議論に転換され、より本質的な論点へと昇華されて行きました。今にして思えば、このプロセスこそがまさに「具体と抽象」の往復でした。

3. どの様な学びが得られたのか
そもそも、私がWBSで学ぼうと思った目的は、ビジネスパーソンとしてより力を付けることでした。10年間の実務経験でOJT的に学んだことを体型的に整理し、経営に必要な知識・理論を網羅的にOff-JTで学び、巨人の肩に乗ることでより迅速かつ的確な判断ができる人になりたいと思っていました。実際、春から様々な分野の講義を受け、確かな知識の増加を実感していました。
ところが、夏学期終了後から秋にかけて、逆に以前より判断に自信が持てなくなったり、時間が掛かったりする場面が増えました。物事を多面的に見ることができる様になった反動で、様々な矛盾に気づき、悩まされる様になってしまいました。「リーダーには一貫性が必要だが、柔軟に方針を変更することも求められる」、「消費者の声には耳を傾ける必要があるが、消費者は本当に欲しいものを分かっていない」。もちろん、全てケースバイケースな訳ですが、ではその前提条件は何なのか、どちらのケースを適応すべきか、それは入手可能な情報で判別可能なのか、などの疑問が常にモヤモヤと頭の中を雲の様に漂い、まるで禅語の迷路に迷い込んだように感じていました。
そんな中、TOMで「抽象と具体」を行き来する体験を重ねる中で、ある時何かを掴んだ様な気がしました。意見が真二つに分かれるケース討議を度々重ねる中で、具体的な意見の対立が、抽象度を上げることで建設的な議論に転換されるプロセスを何度も体験出来ました。前提となる具体レベルの事実認識と、議論に必要な抽象度を関係者間で揃えさえすれば、対立から議論へ、矛盾から統合へ、それぞれ昇華できることが分かりました。

4. 何故その様な学びが得られたのか
何故イノベーションの授業であるTOMでの学びが、「具体と抽象」の往復だったのか。それは、誰しもが称賛するイノベーションそれ自体が、大きな変化を引き起こす一方で、必ず分かりやすい形で具体レベルの対立を生むからだと思います。急激かつ大規模な変化の兆しを前にした時、前に進む人と躊躇する人に分かれることは言わば当然で、社会として更にその先に進むためには、必然的に抽象度を上げ、より統合的な議論を展開することが不可欠です。
今後イノベーションが社会に与えるインパクトがより大きくなれば、求められる抽象度は更に上がります。一方、実務家としては常にNext Actionを具体的な形で決定する必要があり、抽象的な結論を具体的な行動に落とし込む責任からは逃げられません。つまり今後我々に求められるのは、なるべく広いレンジで、且つ高速に、具体と抽象を往復できることだと思います。それを学ぶ教材として、実はイノベーションは非常に純粋な素材ではないかと思います(余計なコンテキストが少ない為)。

5. 最後に
「具体と抽象」の往復を意識することは、結果的に学びの質的向上にも繋がりました。目の前のインプットの抽象度(汎用的な理論なのか、具体的な個別事例なのか)を見極め、適切なレイヤーに整理整頓し、且つ相互にネットワーク化することで、世界をより立体的に理解でき、往復速度の向上に繋がります。今更ですが、これは経験学習サイクルそのものだと後で気づきました。
半ば偶然に近い形で出会った牧さんのTOMですが、結果的にはイノベーションについて多く学ぶことが出来たばかりか、そもそも学びとは何かについても学ぶことが出来ました。WBS1年目、人生33年目でこれを学べたことは、今後の自分の人生に少なくとも乗数で、もしかしたら指数で、プラスの効果をもたらしてくれると感じています。ここまで読んでくださった方で、もしTOMをまだ履修していない方がいらっしゃれば、是非履修してみてください。きっと大きな気付きと成長に恵まれると思います。最後までお読み頂きありがとうございました。(授業と合わせて読むべき本:「具体と抽象」-細谷功)

以上


次回の更新は1月29日(金)に行います。