[ STE Relay Column : Narratives 083]
根岸 晴美 「個人の努力に依らない社会の熟成~松田大さん076コラムへのアンサー・コラム~】」

根岸 晴美 / 手話通訳士

[プロフィール] 1965年 松江市出身。厚生労働大臣認定 手話通訳士。社会福祉士。精神保健福祉士。
医療系大学に入学して直ぐに生花業を開始。バブルで繁盛し過ぎて半年で退学し港区にて起業。1990年 妊娠を機に路面店を閉めて以降オーダーメイドに切り替え、花屋生活36年目。
2000年 息子3年生で子育てを卒業し、小学生の時からの夢である障害者福祉をライフワークとして開始。目黒区を拠点に手話通訳者として活動しながら日本福祉大学に入学し、前出の福祉ライセンス3種を取得。現在は、福祉大で出会ったLGBTQ×肢体麻痺の友人をきっかけに、車椅子ユーザーにも使い勝手の良いハイセンスなボーダーレスファッションも展開中。

 手話通訳士の私なんぞが登場して恐縮しきりでございます。
バックナンバーを拝見するとなんと立派な業績をお持ちの方ばかり!そんなSTEリレーコラムに寄稿させていただくのは甚だ烏滸がましいのですが。牧先生から戴いた貴重な機会ですので、エリートの皆様はご存じないかも知れない「社会における障害」と「解決策」についてご紹介させていただこうと思います。

 私が手話通訳に入らせていただいた牧先生の授業を履修していらした石川さんのように、聞こえにくい又は全く聞こえない方々も企業・社会で多く活躍していらっしゃいます。音声情報が掴みにくいと分かった時点から訓練を重ねた結果(自分には聞こえていない)声で話したり、相手の口形(口の動き)を読み取れる方も少なくありません。しかし口形が同じ違う言葉(ex.卵と煙草)も多いし、何より口形を見れない時(資料やスクリーンを見ている最中、背を向けられての発言、後方からの声掛け、マスクをつけての発言、館内アナウンスなど)は情報がないわけです。自分だけ情報がなかったという事すら知り得ません。
 そこで、牧先生の講義で石川さんが活用されていた手話通訳やUDトークなどの視覚情報支援があるわけです。早稲田大学ではスチューデントダイバーシティセンター障がい学生支援室が相談窓口となっていますが、一般企業や民間団体からの依頼を受け付けている会社 (株)ミライロなどもありますので是非ご利用ください。

 TAの松田大さんがコラム[Narratives 076]に書かれていたとおり、石川さんはこれらの「様々な手がかりを基に高度な推測をして全体像を把握されている」わけです。

 そもそも手話というのは「(音声)日本語を手で表したもの」ではなく、英語や中国語と同様に確立した一つの言語なので、日本語とは文法や単語の意味範囲が違います。つまり手話が母語の方に対しては日本語を手話言語に翻訳してるのです。外国語に精通していらっしゃる皆様はお分かりの通り、翻訳者のフィルターを通すことで原文のニュアンスが変わったり、技量によってはトンチンカンになる危険さえあります。しかも、専門用語や新語には手話単語がなかったり私が知識不足で知らなかったりするので、事前に資料を読んで「分からないこと」を先ず見つけて、辞書を調べたり訊いたりして準備しておく必要があるのです。

 牧先生の講義では山のようにある(笑)講義資料をご提供いただけたので、かなり準備して臨むことが出来とても助かりました。とはいえ松田さんのコラムにある「理解されてから」には至りません。理解まで至っていない者が通訳した抜けだらけの「ちょっと手助け」です。それよりも同じ研究活動をされている方々との対話から得られる情報や思考が、石川さんにとってどれだけ大切か。そこに壁があっては障害となります。個人の聴力が障害なのではなく、手立てや工夫をしない疎外や敬遠が「社会における障害」なのです。

 声を文字化するUDトークもそのままでは誤認識が多々ありますが、持っているiPhone等でグループ共有できるので気付いた者が修正し、皆で同じ字幕を確認しながら話を進めることができます(群馬大学の事例)。講義やイベントなど大掛かりな場面だけでなく1対1の会話にも使える無料アプリです。ログも残せて議事録作成に使えたり、録音や外国語翻訳、その読み上げなどの機能もあるので、あらゆる人あらゆる場面で便利に使えます。
 話し手が相手に伝わるよう工夫することが障害をなくす「解決策」となります。

 「ちょっと手助けをする」のは誰にでも可能です。
専門的なノウハウを持ってないからと遠慮することはありません。半端なことは出来ないとハードル上げて手を引かず、勇気を出して「自分に出来ること」をやればいいだけです。ユニバーサルマナーの研修・検定もあります。

 1人1人が「ちょっと手助けをするだけで、驚くようなことができるんです」
松田さんがコラムに載せてくれた言葉ですが、私が小学生の時の実体験からきています。
インテグレーション(統合教育)の推進校だった私の小学校には、難聴・自閉症・小頭症・発達障害など多様な友人が居ました。隣の席でちょっと会話を補佐しただけで、友人たちは素晴らしい作品を作ったり、唸るほど深い見解を発表するのです。それはもう私より100倍優秀なわけで。その才能を引き出さない手はありません。社会の新たな価値創造です。

 手話通訳士の私が言うのもなんですが、通訳者なんて要らない社会が理想です。


次回の更新は3月20日(金)に行います。